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Terminal Beach 2010年12月22日 17:15
>味覚の下限というのは、駅ソバ、ぺヤングまでは美味しいと感じるという意味です。

あんたの個人的味覚なんて誰も知らんよ。
自分が世間の物差しみたいに書くな、うぜえ。



そう、その世間の物差しというのがどの辺なのか、わからなくなってきたので、それを確認したくなり、あれこれ書いているわけです。(こう書くと「世間の物差しなどありません。味覚は個人個人バラバラですからという意見が出そうですが、国民の身長・体重に平均があるように嗜好にも平均あるいは最大公約数的なものがあると仮定して)
ぺヤングを出したので唐突感があると思いますが、これは「焼いてないのに焼きそばできるのね(これは昔の欽ちゃんヌードルのコピー)」といったオリジナルと異なる商品でも美味しいと感じる程度の柔軟性はある味覚ですよ、日本人だと大方はそうではないでしょうか、という意味で出させていただきました。
で、これまで大方の日本人はサイゼリアのスパゲッティーは受け入れられないだろうと何の疑問もなく思っていたところ、そうではない(しかも日本語を話せるレベルの教養があるイタリア人のみなさんも高評価を与えている)ということを知り、自分の味覚が日本人の「世間の物差し」及びイタリア人の味覚の物差しからはずれていると自覚するに至ったわけです。

Anhyemさんのコメント等を読んでそれは自分が年を取ったことと、日本人の味覚の下限が下がったからかと思っています。(イタリア人の方はいまだに謎)

下限が下がったというとまた怒る人がいると思うので、予めお詫びしますが、この上限下限という言い方を私は大江健三郎の随筆で知り、思い当たるフシが多いので使わせていただいています。

作家大江氏が若い頃、高名の評論家(小林秀雄だったか江藤淳だったかと思いますが)に高級日本料理(忘れましたが多分通が美味しいというソバ)をご馳走になったが、大江氏にはそれが美味しいと思えなかった。その後、(研鑽を積んだのか)その料理のよさがわかるようになり、それを報告するとともに「でも 私は駅の立ち食い蕎麦も美味しいと思うんです」と言ったところ、「君は味覚の上限が上がったが、下限が低いので注意しろ」と批判された、という話なのですが。

私は真の高級料理とか通がおいしいと言う店にいくことがあまりないので味覚の上限というのが長らくピンとこなかったのですが、先日ベトナム人の方々と日本人がアレンジしたランチに同席することがあり、場所は丸ビルの中にあって日本女性のみなさんが絶賛、予約をとらないと入れないというイタリアンだったのですが、みな(良識がある方々なので口には出しませんが)不味いと感じていることが私には伝わってきました。これが味覚の上限を超えているということかな、と考えた次第です。(異文化に対する慣れの問題でもあり、このベトナム人の方々を批判するものではありません。セッティング側が迂闊だっただけです)

上限が上がることに異を唱える人はいないと思いますが、下限が下がることについては賛否両論でしょうね。私も「君は下限が低いから注意しろ」と言われたらムっとします。わかっちゃいるけどやめられないのは年をとった証拠で世間ではこれを老人力というのでしょうか。

報告の理由