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<首相靖国参拝>61年目に騒然 祈りの日、賛否の思い交錯

 61回目の終戦の日を迎えた15日朝、一段と強まる雨の中、小泉純一郎首相は靖国神社を参拝した。01年自民党総裁選での公約を優先して、任期中最後の8月15日を参拝の日に選んだ首相。その姿を、靖国で、広島や沖縄で、中国、韓国で、さまざまな思いとともに見つめた人たちがいる。

 ◇早朝
 神社から約500メートル離れた千鳥ケ淵戦没者墓苑は、午前6時半に開門した。待つ人はなく、次々に訪れる人が静かに祈りをささげた。さいたま市の会社員、近藤克行さん(31)は、大学時代に平和について学び、この日に毎年訪れるが、靖国神社には行かない。「A級戦犯と純粋な戦争犠牲者に、同じように手を合わせて平和祈願はできない」と言う。

 ◇首相参拝
 午前7時41分、沿道の人々が日の丸の小旗を振り、報道各社のカメラが待ち構える中、小泉純一郎首相を乗せた車が到着殿の前に止まった。黒のモーニング姿の小泉首相は、口を真一文字に結び、厳しい表情で殿内に入った。
 旧日本軍の中国・山西省残留兵士問題を問いかけたドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」の監督、池谷薫さん(47)は、参拝を目の当たりにし「『蟻の兵隊』に出てくる元兵士たちは、国に捨てられた人たちだ。小泉さんが心の問題と言うのなら、彼らの気持ちもそんたくして欲しい。中国残留を命じた上官が祭られている靖国に『一緒に祭られるのはまっぴら』と言う元兵士の気持ちはよく分かる」と語った。
 練馬区の主婦、八木美穂子さん(43)には、フィリピンで戦死した祖父がいる。「参拝についていろいろ言われているが、未来を担う人間に何かを考えてほしかった」と2人の子供を連れて来た。二男の小学校6年、啓佑君(11)は「境内で賛成・反対と声が飛ぶのを聞くと、ひいおじいちゃんの亡くなった戦争は正しくなかったのかもしれない」。

 ◇秋田・土崎港
 小泉首相が参拝を午前7時48分に終えたころの秋田市土崎港。61年前の8月14日夜から15日未明にかけて「最後の空襲」で、市民ら約260人が亡くなった。体験者らで作る市民団体「土崎港被爆市民会議」の高橋茂会長(76)は自宅で「終戦の日は生き地獄を体験した翌日。生存者が戦争という過ちを繰り返すまいと誓い合った日だ。参拝は許されない」と静かに語った。

 ◇沖縄
 「国民の代表である首相が参拝したら、私たちも参拝したことになる。許せない」。午前9時、沖縄靖国訴訟原告団副団長の川端光善(こうぜん)さん(70)は沖縄県八重瀬町の自宅で語った。45年の沖縄戦当時は9歳。6月初め、一家で避難していた壕(ごう)に米軍の砲弾が直撃し、兄が即死。数日後に母も砲弾の犠牲になった。靖国神社に祭られた2人の合祀(ごうし)取り消しを求める川端さんは沖縄戦を「国家犯罪」と言う。

 ◇広島
 午前10時40分。広島市の原爆ドームの水彩画を22年間描き続けている原広司さん(74)=同市安芸区=は、1789枚目をスケッチしていた。原爆が投下された45年8月6日は広島県・江田島のおばの家にいたが、翌7日、広島市内の学校に登校して被爆した。「『核兵器は絶対悪』というドームのメッセージを次世代に」と考え、好きな絵を描き始めた。首相参拝を「誤った戦争で原爆が落とされた。A級戦犯が祭られている靖国神社への参拝は誤った戦争の肯定だ」と批判した。
(毎日新聞) - 8月15日15時16分