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ベトナム戦争の影響、今も・・・

1: tosw38 2002年09月10日 07:07 報告
今年8月初めてベトナムを訪れました。戦後20数年たった今のベトナムを見てみたくて・・・

たった3日間の滞在だったのでお決まりのコースを訪れただけでしたので、
活気に満ちたホーチミンの中心街、緑豊なメコンデルタ、観光用に整備された
クチトンネルとほんの上面だけしか見ることができませんでした。

先日新聞で「カンザー県のマングローブの森を再生」という記事を読んで、今もなお
枯葉剤で焼き払われた森の再生に取り組んでいる事を知り、実際にベトナムまで足を運んだのに、
このような現状を知らずに帰ってきた自分の無知さに恥ずかしくなりました。

観光客のあまり訪れないような地域ではまだまだこのような
ベトナム戦争による悲惨な現状がたくさん見られるのでしょうか?
また地雷なども奥地では残っているのでしょうか?無知な私に教えてください!

みんなのコメント 36

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VN人って、ワガママ・ある意味で個人主義(従属されるコミュニティーを、大切にする事は良いんだけチョ…)だよね!

レイバー、これ以上あがると、さて労使双方、舵取り上手く出来るかどうか?

ただ、ソロソロ日本人はニャ、自国の将来も直視せねばニャ〜!

眠ってても、メコンデルタにゃんても、一億人を養う潜在的穀物準備能力在るんだかリャ。それに豊かな若手労働力による工業・外資を含む投資に拠る経済の活性化なんどから考えたら、日本人、ボケッとドンコイで雑貨を買い漁ってる場合じゃないかもニェ!
また、米国企業も、本格的に参入し始めましたよニェ!
最近ベトナムへの投資が話題になっています。
ホーチミンを訪れたとき、ベトナムの人達の勤勉さ・人当たりのよさとか、発展振りを見て、有望な国かなと感じました。

しかし、長い間の戦争で教育を受けられなかった人が多くいたり、公務員の汚職や怠けぶりの様子を見ると、ベトナムのマイナス面が気になります。

現地にいらっしゃる人から見ると、ベトナムは投資対象としてお奨めでしょうか。
それは面白い飲みになりそうですね。
中国人が笑って言うのを聞いたことがある。
「ヴェトナムの汚職は中国以上に酷い。」
集まるカネの量が圧倒的に違う両国を単純に
比較することは、かなり荒っぽいことだが
実感としては、広くくまなく薄く取り捲るヴェトナムと
要所要所でがっぽり持っていく中国との違いがあるように感じる。
所詮国の規模が違うのだから、ちょこちょこセビルのが
関の山なのは仕方ないだろう。

教育の問題についてはお互いの視点が別のところに
あるようだから、今度一杯やりながら話そう。
長期化した戦争のために一番影響を与えたのは教育システムの
崩壊だろう。3年で終結していればヴェトナムはバンコクと
変わりない発展を遂げていたかも知れん。
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これはありえない。
根本的な問題は汚職。
ベトナムの歴史を考察すると平時の汚職が収まらなかった。
タイも汚職はあったがベトナムに比べれば可愛いもんだよ。
ベトナムも中国に比べれば可愛いもんだけどね。
国王、仏教でもいいけど元になる規律が無いのは不幸だよね。
別にそれが共産党でもかまわないけど、時代のろ過を受けていないから苦しいな。
この問題は正直調べていても正確な関連が証明されていない。
ダイオキシンはモルモットと人間では体積に応じた反応が違うというのが現在の研究で結果として出ているし、症状が一定していない。

ダイオキシンは禁止されるまで世界中で使われていたけど、市民団体の致死量を鵜呑みにしたらとっくに人類が絶滅している量を地球上に散布してる事になる。遺伝子の研究進まないと結論でないだろうね。
作戦期間におけるVN国での枯葉剤散布量推移と、日本国内での農薬PCP生産量の対比では、ものの見事に一致シュる。(…と一般的に指摘されてる)

我々、単に『米国だけは、けしからん!』などと、他人事ではいけないんよニェ!
日本の高度成長期を形成したのは、このVN国での出来事にも、多かれ少なかれリンクしてたんだからニョ〜!
キシさんやw-katuo氏が触れていないのが意外だが、枯葉剤の影響は
今日現在も続いているんじゃないかな。
中部での大量投与で、毎年3000人前後の未熟児、奇形児、
流産が繰り返されていることが報道されていると記憶しているが。
それらの救済にアメリカの援助もあるとか。
地下水の砒素含有の問題も厳然と存在しているのは、戦争の影響とは
無関係なのかな。砒素は単なる公害なのか。

日本が原爆で受けた傷跡に近いものがこのヴェトナムにもあると
思うのだが。
化学兵器とはかくも恐ろしいものだと感じている。

長期化した戦争のために一番影響を与えたのは教育システムの
崩壊だろう。3年で終結していればヴェトナムはバンコクと
変わりない発展を遂げていたかも知れん。


市井のヴェトナム人に明るく愛すべき人物が多いことが
せめてもの救いだろう。ここで仕事ができるのも彼らが
いればこそだ。
そろそろ来るな!ブッちん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061114-00000017-maip-int

揚げ餃子美味そうだんニャ!
対話が一番やニャ!
加藤まさみち
被害は現在の日本でもあるし、
そんな見方じゃダメだな。
トンネルの中の人間模様とか
リアルに書いてあるなら、読んでみたいな。その小説。

枯葉剤の影響とか ほんとうにもう大丈夫なのかね。
趣味で小説を書いてます。小説の中でベトナム人の女性を登場させようと思い、ベトナム戦争や現在のベトナムの様子を調べてます。調べるほど戦争の被害は終わっても続くものだと実感しました。イラクでも戦争の影響で病気になる人が増えていると聞くと、イラク戦争は間違いだと思っているこの頃です。
次のシクロの話題には最初からレスをつけないよ。沈むにまかせよう。
スイスの偉大な所は『ハト時計』を発明した事だよ。
おとうさん、もう放置でいいでしょ・・・
しかし、スイスはマフィアの巣窟って知らないの?
キシ さん、

金で平安を得られるのならそれでいいでしょう。スイスはそれを実現している。退屈な奴らだけど。
戦争の無い、それを避けられる状態、それだけで我らは如何に、無上に幸せな状態であるか、
思い知るべきです。平和は稀有なことです。人類は戦争が常態です。今も昔も。
しかし、金は強力であるけど、平和の条件にすぎず、これに限定すべきです。

金にかくも神通力があるのに、ときどきいぶかり、不思議に思います。そんなものより、
すばらしい価値、美が仰山とあり、豊かな世界が広がっているのに。退屈であるけど、
ベトナムの北の豊かで質朴な「人民」に接して思い知ります。ベトナムはいま平安である。

退屈であること自体が平和である証拠である。彼らはそれ(平和)を、犠牲が多さにかかわらす
(そのあまりの多さに驚愕する)「勝ち取った」。尊敬する。その偉大さに頭が下がる。

北の田舎町をふらついて、気づかされました。「人民」の金に無頓着、
無執着、こだわりの無さ、それは我らの忘れていることです。

我らはヤンキーから伝来された、金、かね、カネを無上の価値とする
下卑に成り下がっています。(俺はビンボーだからその感が深いです。)
>スイスの例がある。

世界中の権力者ややばいことして稼いだ金を置いてあるから、
永世中立なだけで、自分の金庫と戦争する指導者はどこにもいない。
また、あたふたさんにあうふたより、

>あなたは自由を捨て、意思を捨て、奴隷でいろと言うのですか?

自由を剥奪され、意思の表明ができず、奴隷状態でいた民族はいくらでもある。
他人事でない。密かに言うけど、かつての我ら日本人が皆そうであった。

自由もなく、意思表示をできず、我らは奴隷であった。それは、ついこのあいだであった。
マッカーサが神であった。テンノーでない。わかるかい。
そのとき、自己の、民族のアイデンティを保持できたのは、自尊です。
あたふたさんにあうふたより、

>したくなくても強いられる戦争はある。

それは避けられる。それには真の「男の勇気」がいる。スイスの例がある。
それには、なりそこないのギャルであってはならない。
キシ さん、

戦争証跡博物館。そういうのは自分の身体を切り開かれている様を見るようで、
私の神経は耐えられません。それにつけ、我らは、他人に優しくあれ、と叫びたいです。

その他人とは、自分でない、身内でない、社内の同僚でない、赤の他人です。
それが男だと私はおもいます。キシさんはそういった人たちの中にいるみたいです。敬服します。
キシさん、さっそくお教え頂きまして、どうもありがとうございました。
ホーチミン行き、ますます待ち遠しくなってきました。
2年以上前の投稿に対し、「私の『ベトナム』の継承」もないだろ。
「ホーチミンの戦争証跡博物館では現在、本格的な新館の建築中で、2004年秋頃にオープンの予定」
これは現在完成されているのでしょうか?

展示が以前より面白い。今でも普通に見れますよ。
tosw38 さん、あうふたです。

素朴な視点からの私の『ベトナム』の継承みたいで嬉しいです。
ただし、ここでは私はコメントのみで論議は避けたいとおもいます。

>観光客のあまり訪れないような地域ではまだまだこのような
ベトナム戦争による悲惨な現状がたくさん見られるのでしょうか?

これだけについて述べます。私は 10 月にハノイから特急で7時間くらい南下した
フーンフォーという田舎街を訪ねました。そこには観光客は一人もいませんでした。

ベトナムに悲惨な現状は何も見られません。戦傷者も一人も見ていません。どうしてか。
生物と社会は異常なほどの回復力(復元力)があるからです。現在のベトナム社会は
いったって平安に見えます。どこに戦争があったのかといぶかるほどです。
が、私は太平洋戦争を見て知っているから心底はまったく違う、ということを推断します。

敗戦直後私は東京のある高台から東に浅草や上野のほうを一望しました。
地平のかなたまで焼け野原で破壊尽くされていました。7年後に東京に戻ってきたら
町並みに爆撃機による破壊は跡形も無く修復されていました。ベトナムも同じです。

しかし、人心の崩壊は残る。決して消えることがなく、癒える事が無いトラウマ
(精神的外傷)として残ります。人々の心神は破壊され「やられ」ています(ました)。
それは表面的には窺い知れません。
初めて投稿させて頂きます。

ここはベトナム専門家の皆さんのお集まりの場所のようですね。頼もしく思います。
で、ベトナム戦争に関連して一つ質問させて頂きたいと思います。
2003年に出版された本に以下の記述がありました。

「ホーチミンの戦争証跡博物館では現在、本格的な新館の建築中で、2004年秋頃にオープンの予定」
これは現在完成されているのでしょうか?実は、年明け早々にホーチミンを訪れる予定でして、
その辺の事情を知りたく思っています。よろしくお願いします。
したくなくても強いられる戦争はある。
あなたは自由を捨て、意思を捨て、奴隷でいろと言うのですか?
1975年私は18才でした。

すでに日本は平和で路上で物乞いをする人も見かけなくなっていました。
幼いころ親に連れられて池袋や上野へ行くと、必ずアコーデオンを弾く
兵隊姿の人が街にいました。そんなことをホーチミンの街で思い出しました。

やはり、どんな理由があっても戦争は絶対してはならないと思いました。
白い粉=枯葉剤です。

ホーチミンでも、5年程前位までは枯葉剤の影響を心配して、
先に売れる野菜は輸入品、いつも売れ残るのは地元産と言ってました。
私の自宅HamTanも戦争中2回程枯葉剤が捲かれたらしい事が
戦争博物館の地図に書いてありますが、生活していて特に支障は感じないですね。

近所に知恵遅れの子が一人いるぐらいかな。
w Katuoさんコメントありがとうございます。
その白い粉はいったいなんだったんですか?不発弾はどの辺りに今でも残っているんですか?
DMZだと、去年に学校の生徒が山で遊んで土を掘っていたら白い粉が出て来たので、持ち帰って
「これなんだ」と広げたら校舎に居た全員失神してしまた事件起きているみたいです。

不発弾だと去年は12人程これで遊んでいた子供死亡してますし、今年も死者出てるみたいです。
早速のレスありがとうございます。
各トピックでキシさんの楽しいコメント読まさせてもらってます。

枯葉剤の件ですが、ジャングル等においてはもう後遺症がほとんどないと思ってよいのでしょうか?
地雷の被害はもう聞きませんね。

でも道路の拡張工事する時に金属探知機で検査しながら掘ってるのは事実。
マングローブは枯葉剤というよりは、多分海老養殖の伐採が原因だと思います。

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