• このエントリーをはてなブックマークに追加

次のメッセージを不適切な投稿として報告します。
不適切だとする理由を選択の上、送信するボタンをクリックしてください。

あうふた 2004年12月12日 00:36
感想2 さん、

>『人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない』 

これは事実論である。さもあらん。事実の把握だけでも難しい。彼は部下の資質を見抜いていた。
報告の正確性に疑念を持っていたのだ。しょうがない。人は見えるものしか見えないのだから。

しかしカエサルが指揮官なら、見えないものでも見なければならない。
それには、多数の、違う角度からの正確な報告を集めるのだよ。

報告に矛盾があってもいい。いや、矛盾がおおいほどそれらの報告は信用できる。
すべてでなくとも、多くが見えるわけだ。それに指揮官は判断を下す。これには高度の資質が要求される。

話し変わって、塩野七生さんは、その本で、ローマ人(カエサル)の残虐性を指摘していますか。
それは目を覆うばかりのものであったといいいます。私はそれが気になっており、知りたいです。

報告の理由