• このエントリーをはてなブックマークに追加

次のメッセージを不適切な投稿として報告します。
不適切だとする理由を選択の上、送信するボタンをクリックしてください。

Anh y Em 2008年10月17日 19:26
1996年に分離するまでは、ダナン市も、Quang Nam省の一部だったんだニャ。
またホイアンは、今でもQuang Nam省では重要な位置づけの町だんニャ!

今では、ダナン市でのMi Quangが有名だと取り扱われるのジャが、本来はQuang Nam省を、特徴付けるべき代表麺なんでシュな。
また、
そのQuang Nam省の一部、ホイアンって町で育て上げられてきた麺が、Cao Lauなんでチュぞい!

ただホイアンという町は、朱印船貿易の頃から、外国との貿易の盛んな港で、外部からの新しい文化の受け入れ口ジャったとさ!

小生は食を歴史的に分析すれば、Mi Quangが伊勢ウドンなんどの影響で、Cao Lauに変身した。
また逆に、ホイアンに伝わった伊勢ウドンがCao Lauとなり、やがて広くQuang Nam省全体に伝わった頃、名前をMi Quangと変えた。

共に大きな可能性は有りジャな! だって、同じ地域の話しじゃから。

知らぬ方は、よく見比べてみんろ。

Mi Quangの写真↓
http://www.flickr.com/search/?q=%22M%C3%AC%20Qu%E1%BA%A3ng%22&w=all

Cao Lauの写真↓
http://www.noodlepie.com/cao_lau/index.html

ほれみろ!!
両者、実に良く似ていたじゃロイ!

小生的に、うん、食生態学的には、伊勢ウドン(by 角屋七郎兵衛)⇒Cao Lau⇒Mi Quang の方が自然だと思うが、皆は如何思う? Mi Quangは中国文化(廣州麺)の影響を強く受けてるから、ホイアンから日本人が去った後の話しじゃなかろうかって?

何れにしろじゃ、Tan Binh区のHoi An Quan1号店のカオラウは、ウドン文化で育った日本人にとっても、相当美味いって事なのじゃ! 

 …で、文句あるかい ?!

報告の理由