『サイゴン南洋学院について』のコメント No.31
南洋学院は当時、日本の文部省の試験に合格した、15歳?17歳の若者が、船で何日もかかってベトナムへ渡り、ベトナムで日本の技術や知識を広めるため、実在した学校です。
航海の途中で、座礁し、沈没した若者もいたそうです。
当地で、慣れないフランス語を学びながら、現地の人と作物を植えたり、さまざまな経験を積みました。
しかし、まもなく日本の敗戦が決まり、終戦を迎え、わずか3年ほどで若者たちは日本へと戻ります。
その方達は、生存していれば、90才近くになります。
定年を迎え、若かりりし頃過ごしたベトナムで現地の方々にもずいぶんお世話になったようで、恩返しの為に建てたのが、「南洋学院 日本語学校」です。
私の父もその一員でした。
航海の途中で、座礁し、沈没した若者もいたそうです。
当地で、慣れないフランス語を学びながら、現地の人と作物を植えたり、さまざまな経験を積みました。
しかし、まもなく日本の敗戦が決まり、終戦を迎え、わずか3年ほどで若者たちは日本へと戻ります。
その方達は、生存していれば、90才近くになります。
定年を迎え、若かりりし頃過ごしたベトナムで現地の方々にもずいぶんお世話になったようで、恩返しの為に建てたのが、「南洋学院 日本語学校」です。
私の父もその一員でした。