• このエントリーをはてなブックマークに追加
e-maさん、ベトナムの貧困の度合いは十分承知の上で、日本人としてチップをあげる時の気持ちを書き込んだつもりですが、
誤解を受けている様なので、再度、簡単な例をあげて説明します。

1.乞食にお金をあげるときは、もしくは、あげている人を見たら、あなたはどの様に感じますか? 何のサービスも受けてない関係だけど、乞食は貧乏で
  お金がなく可哀想と感じて、あげるわけですよね。
  一方、例えばレストランのウェイトレスの場合は、何らかのサービスの提供を受けるわけですよね。 
  もし、「給料が安いから、あるいは、貧乏だから」と言う事でチップをあげるとしたら、それは乞食にあげるときと同じ気持ちだよね。
  サービスを提供してもらった人に対し、乞食にあげる時と同じ気持ちでは、日本人として、少なくとも私には、あげられないと言っているのです。
  乞食とウェイトレスではサービス提供の有無の違いがあるわけだから、そこには当然あげる気持ちに違いがあって良いのではないでしょうか。

2.私の説明を簡単にするため、敢えて、チップをあげる時の気持ちを言葉にして、ウェイトレスに伝えるとしたら、「今日の食事は大変美味しかったです、とか
  楽しく食事が出来ました、これはほんの気持ちです」と言ってチップを渡せますが、「給料が安いでしょうから、とか貧乏そうだからこれはほんの気持ちです」
  と言っては渡せないでしょう。 後者には、誰しも違和感を感じるでしょう。

3.<ローカルのウエイター達の給与を知ってしまうと頑張って働いていれば
助けてやりたくなるのです>と発言していますが、勿論、あなた自身の行為
  だから、その行為そのものに、私は何も異論はありません。
  しかし、「助けてやりたい」と言う言葉には、ちょっと違和感を感じます。
  私も随分と色んなレストランで色んなウェイトレスにチップをあげています。しかし、どのウェイトレスにあげたかなど覚えてないし、同じウェイトレスにあげて
   いたとしても、何年間の間に、せいぜい1~2度で、1~2ドルしょう。
  それで、そのウェイトレスを助けたなどと、うぬぼれた事を私には言えませんね。