『横井久美子・2003年ベトナムツアー&コンサート』のコメント No.5
>私のデビューアルバムは「横井久美子ハノイにうたう」です。1973年、
>まだ戦争中の北ベトナムで歌いました。観客は、高射砲部隊の少年のよ
>うな兵士や、右手に鍬を、左手に鉄砲を持った人民兵でした。私の歌
>う「戦車は動けない」はベトナム人民支援の歌として熱烈に歓迎されました。
こういうのを見ると「ベトナム」という名前は団塊の世代とかその近辺には
青春を思い出させる魔力を持つ地名であることをひしひしと感じます。
この方は1973年にハノイに入国できたとか、1975年の東ドイツで歌っているのは、
そういう政治的立場なのでしょう。
(著書の版元からみると特定政党とのかかわりもあるようです。
(ご本人が当時の自分についてどう思っておられるかは別ですので、
それを断罪しようという気は、私はもちろんありません。
また、東ドイツは私自身行ったこともあり、いいたいことはありますが、
本題とはずれるのでやめときます。)
もとの書きこみにあったファンサイトの掲示板を見たら、ここと
他のいくつかのサイトが「最近のベトナム旅行情報」として
紹介されていたので、おそらくここにもコピーアンドペーストの
書きこみがあったのでしょう。いまごろ、あちこと貼られているのかな。
>まだ戦争中の北ベトナムで歌いました。観客は、高射砲部隊の少年のよ
>うな兵士や、右手に鍬を、左手に鉄砲を持った人民兵でした。私の歌
>う「戦車は動けない」はベトナム人民支援の歌として熱烈に歓迎されました。
こういうのを見ると「ベトナム」という名前は団塊の世代とかその近辺には
青春を思い出させる魔力を持つ地名であることをひしひしと感じます。
この方は1973年にハノイに入国できたとか、1975年の東ドイツで歌っているのは、
そういう政治的立場なのでしょう。
(著書の版元からみると特定政党とのかかわりもあるようです。
(ご本人が当時の自分についてどう思っておられるかは別ですので、
それを断罪しようという気は、私はもちろんありません。
また、東ドイツは私自身行ったこともあり、いいたいことはありますが、
本題とはずれるのでやめときます。)
もとの書きこみにあったファンサイトの掲示板を見たら、ここと
他のいくつかのサイトが「最近のベトナム旅行情報」として
紹介されていたので、おそらくここにもコピーアンドペーストの
書きこみがあったのでしょう。いまごろ、あちこと貼られているのかな。