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ともかくフーンフォーには印刷物が何もないのだよ。どこにもない。ずいぶん困った。

ついに街の地図が一枚も手にはいらなかった。ホテルからの領収書もないし、
名前も知らない。場所は駅から車で5、10分くらいの所としかわからない。

なんかリゾートホテルみたいで私好みでない。ホテル前に競艇場みたいな大きな池があった。
ベンチは沢山ある。一体誰がすわるのか。しばらく座っていて退屈で死んでしまいそうになった
(ほんの数日前まで商業主義の渦中にいたから)。引退した(ヨーロッパの)
おっさんたちが余生をおくるような所であった。

どうせ言葉が通じないところへいくのだから意思が通じないのには覚悟していた。
それに私が自由に操れる言語は日本語と英語しかない。変な外人が紛れ込んで、
ホテルの一族共同体みたいな従業員全員が困惑したようであった。

お互いに言葉で意思が通じない。身振り手振りしかない。(料金だけだったら、
それだけ、数字を書けばたりるし、長居しないからそれだけでよかったのだけど。)

しかし、ホテルはあわてず英語を話せるおねーさんに来てもらった。ほんとうに、彼らは、
いつ何時何事がおきても冷静に適切にうまく対処する。彼女は小学校で英語の教師をしているという。

一日くらい通訳でいろいろ世話になった。ホテルがかってに呼んだのだから私には支払い義務は無い。
のだけど、仕事が隣接分野なので仲間意識がめばえチップをはずんでやった。
おもうに、ベトナム女性は語学の天才でないかと思える。
その 23 才の女の子は意思が確固としていて優秀であった。日本にきたら代議士になれるよ。

ホテル周辺のカントリークラブみたいな雰囲気が嫌で空港まで車で2時間かけて連れて行ってもらった。
運転手はガソリン代しかとらなかった(そういところは非常に淡白である)。
航空券がなく、近くの町(このあいだ話したジーバンが歩いていないところ)で2日間待機した。

これがよかった。ベトナムの田舎の生態を少しでも見られたのだから。
この町の名も知らない(たんねんに調べれば分かるとおもう)。

では、また