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明治37年4月11日の毎日新聞。

[三月九日北京発]
四月一日、旅順に於いて日本海軍将校のために葬儀を営めり。当時将校及び水夫これを見送り、かつ楽隊を附せり。
この将校の死体は、福井丸の船首なる海上に浮かびしものにて、頭上に砲丸にての大疵あり、その深さ一寸、外套の袖に金線あり、頸には革紐にて望遠鏡をかけ、ポケットには短剣を差し居れり。

註:右電報によれば、露人は該死体の廣瀬中佐たる事は知らずして葬儀を営みたるものならんも、その廣瀬中佐たる事は当時船上に留めたる一塊の肉片が、右電報に伝える頭部の深さ一寸の大疵と符合する事、並びに外套の袖に金筋の入り居りし事だけにても疑いなきがごとし。

と、言うわけで、

>ロシアにおける広瀬武夫の、アリアズナとの恋愛や、彼が戦死したときに、敵国であるロシアが、海軍葬までして彼の死を悲しみ、

というのは真っ赤な嘘ですね、またしても。

『露人は該死体の廣瀬中佐たる事は知らずして葬儀を営みたる』

『露人は該死体の廣瀬中佐たる事は知らずして葬儀を営みたる』

『露人は該死体の廣瀬中佐たる事は知らずして葬儀を営みたる』