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かつて世界に覇を唱えた日本の半導体産業はすっかり凋落してしまった。なぜ日本の半導体が過去に成功しながら、今はダメになったのか。そして、復活には何が必要か。富士通で半導体部門のトップを務め、現在は半導体の設計ベンチャーを経営する藤井滋氏に話を聞いた。

1940年代後半に半導体を発明したのはアメリカだ。1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。

欧米では1990年代に半導体事業が総合電機からスピンアウトした。日本でそれが起こったのは2000年になってからだ。そうしてできたのがエルピーダ(メモリ)とルネサス(エレクトロニクス)の2社だが、日本の意思決定が10年以上遅かった。

その10年間で工場を1つ作る費用が500億円から5000億円という世界になった。全社の投資額が年間3000億円のところ、半導体に5000億円の投資はできない。富士通だけではなくNECも日立(製作所)も同じだ。対して、韓国のサムスンや台湾のTSMCはそれができた。

10年遅れて半導体事業を切り離す決断をしたが、日本の総合電機は半導体の業績や市況が悪いときに捨ててしまった。事業を売る判断も本社。総合電機のトップは半導体出身ではなく、半導体を調達先としてしか考えていなかった。彼らから見ると半導体は金食い虫で早く手を切りたかった。

TSMCの(創業者)モーリス・チャン氏は新技術を立ち上げるために、IBMや日立などからキーマンを大金で一本釣りした。日本以外の企業ではトップ人材をヘッドハントするのは当たり前だ。
日本はそうしたスカウトをやらなかった。

これらの出遅れを取り戻そうと、日本は今、やっと米国企業と協力して最新型半導体を製造する計画を立てたところ。

スタートラインが台湾とは全然違う、遅すぎる、それを取り戻すために大きな予算を組むのは当たり前の話。

みんなが知っているネットニュースに書いてあるだけの情報を、偉そうに語らないでね。

半導体の過去の経緯が一番重要なんだよ。