『何故日本人は「評判良くないの?』のコメント No.23
一般的に日本人は評判いいですが個別で大いに異なるというのが私の見解です。韓国人と顔や髪型・雰囲気が似てると年配の人には嫌がられる傾向に。それはベトナム戦争中の韓国軍のベトナム人への態度が大いに関係します。以下(wiki抜粋)。
各地の生存者の証言に共通する点として、婦女に対する強姦が挙げられている。
そして虐殺の方法には、いくつか共通した類型があったようだと同記事に記されている。
以下、引用すると「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。
妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す
等々」だ。
実際1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍はほとんど大部分が婦人の村人
42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ全員を殺害した。
1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は
300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を
炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して
化学兵器を使用したのである。
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で韓国軍は、
住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の
家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺した。
「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことだ」
こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と
3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。
アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で殺した。
各地の生存者の証言に共通する点として、婦女に対する強姦が挙げられている。
そして虐殺の方法には、いくつか共通した類型があったようだと同記事に記されている。
以下、引用すると「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。
妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す
等々」だ。
実際1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍はほとんど大部分が婦人の村人
42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ全員を殺害した。
1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は
300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を
炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して
化学兵器を使用したのである。
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で韓国軍は、
住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の
家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺した。
「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことだ」
こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と
3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。
アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で殺した。