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「不快」なぁ。
もともと差別なんていうのは存在しないものだが
誰かが誰かの都合の良いように作り出したものだろ。
優劣とか貧富の延長線上にあって、政策的でもあろう。
「不快」と感じる心理は、その政策環境で生活している限り
自然と感じ取るものになる。それが政策発案者の意図するところ。
「不快」が「差別」のエネルギーになるともいえないかな。
キシさんの言うように、何故「不快」に感じるのか、もう一度考える
必要があるようにも感じるんだがな。

個人のキャラクターを含むアイデンティティーへの攻撃は
議論の場には相応しくないぞ。