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現在も会館は残ってますが、公共福祉は広く社会に開かれた形(病院や葬儀場はベトナム人も利用)となり、行政部門は政府の独占となり、会館は単なる「寄り合い場」になりつつある傾向。
毎年テト前に発行される「西貢解放日報」のカラー大判グラフ誌には、各会館その年の活動が写真入で報道されます。

また中国系にもかかわらず、若い人の中にはQの音がXになるようなベトナム訛りの中国語話す人も見受けられます。
但しチョロンでの広東語通用率はクアラルンプール並みに高く、大抵の場所で通じます。政府機関である郵便局や公安局にも広東語分かる人が居ました。
プノンペンの中国人社会の方が昔のベトナムのそれに近いかも知れません。あちらは潮州系が幅を利かせてますが。