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胡志明さん、

ベトナム人と日本人にとって、英語という第三言語を使うことは好ましくない、そうするのは(被)植民地人の根性である、という意です。まずお互いに相手国の言葉を使うのが礼儀であり、相手を尊重することです。

国力が言語の相対的な重要度になります。日本語の重要度は日本の経済力に比例しています。わが国が弱小であったとき憲法を中国語で書いたエライ人がいた。憲法をだよ。いまどきそんなことしたらぶっ飛ばされる。

世界はすでに東アジアの時代です。日本語はその中心言語になりつつあります。皮肉なことに、当の日本人がそう思いたくない。我らは完膚なきまでに徹底的に叩きのめされ、(被)植民地人根性を染み込まされたからであろう。

その昔、ロシアでは自国内で自国民同士の意思の疎通にフランス語を使っていた。そうするのがかっこうよかったのです。(被)植民地人根性である。それを心あるロシア人は苦々しく眺めていた。そういう状況から現代はなんと様変わりしたことであろう。

英語は、その帝国の衰退とともに死語になったラテン語と同じ運命を辿る、と私は思っています。

原則は互いに相手言語を使うことです。