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コミュニケーションは何語で

1: 胡志明 2005年09月15日 09:27 報告
ここのホームページを読んでいるうちにベトナムへの興味がどんどん高まっていきます。しかし、市井の人々とその暮らしについてのやりとりが少ないのが残念です。
そこで質問ですが、ホーチミンにおける外国語の通用度というのはどの程度でしょうか。観光施設、土産物屋、エリート大学生などを除外して、?英語、?仏語、?中国語、?タイ語、?日本語、?漢字の筆談の通用度を%で示すとどんなものでしょう。もちろん体験的・直感的なもので結構です。
わたしのヨミは、、?英語10%、?仏語5%、?中国語3%、?タイ語1%、?日本語1%未満、?漢字の筆談5%。ちょっと買いかぶりすぎ?

みんなのコメント 60

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>これを否定することは、旅行かばんは西洋の文化なので昔の飛脚のような
>格好をして旅するようなもの、
意味がまったくわかりましぇん。
質問者です。昨日初めてのベトナムより帰国しました。
滞在がアマラホテルというところで付近に何もなく交通不便と聞いていましたが、ツーリスティックでないというだけで、普通の店や食べ物屋が並んだ生活エリアと言う感じで、中心にあるホテルよりも私にとっては好都合でした。
報告ですが、このエリアで食事や買い物をした時を中心にかなりの人に声をかけましたが、意外に英語をしゃべれる人はいました。簡単な会話なら5%くらいの確率で通じていたと思います。例えば夜にフォーを食べに行ったとき、食堂の従業員5名は全滅でしたが、10人ほどいた客の中にひとり英語ができる人がいてオーダーを助けてくれるという感じです。日本語、中国語、フランス語ができる人はゼロでした。
チョロンに半日行った時もいろいろと話しかけましたが、同様の印象です。たださすがにこちらでは店のオーナーくらいの人だと中国語(普通話)が50%くらい通用しましたが、店員にはほぼほとんど中国語は通じませんでした。
わずか数日の滞在で分かることは限られますが、とりあえず英語があればある程度の生活はできるかという印象でした。

しばらく見ない間にすごい展開になっていて、それに応じていないことは申し訳ありません。
言葉は確かに文化ですが、旅行者にとってはツールでもあるわけで、これを否定することは、旅行かばんは西洋の文化なので昔の飛脚のような格好をして旅するようなもの、というのがわたしの簡単な回答です。
いい加減このレスが度々ageられることに、他の人もうんざりしていると
思うのでこれを最後くらいにしますが。

あうふたさん
僕はバイリンガルとは、必要に応じて2つの言語を使い分けられる人の
事を言ってます。どこに根を張っているとか張っていないとか関係なく、
2つの言語を話せる人はバイリンガルです。

たぶん、あなたはバイリンガルを「根無し草」と定義しているのではなく、
「根無し草」のことをバイリンガルと呼んでいるのでしょう。だから、

>彼女はバイリンガルを克服し、
となるんですね。
極暇 さん、

ああ、そういうことですか。何か私の論理が破綻しているのではないかと疑い、久しぶりに学校で学んだ論理学を思い出しました。

バイリンガルは根無し草である。彼女は日本語が使える、と私はいった。
だから、彼女は根無し草の日本人である、とは私はいっていない。
彼女はバイリンガルを克服し、根を日本に持つ日本人になった、と言い直しましょう。

これならいいでしょ。
あうふたさん
僕はあなたに質問しているだけです。自分の意見は言ってません。

>彼女は、「根無し草」であり「日本人」である、ということでよろしいですね。

と書いた僕のレスは、あなたの定義に当てはめて書いてます。
それが半分しか当たっていないのであれば、あなたの定義が半分間違っているのです。
極暇 さん、

>僕の質問には答えてもらえないようですね・・。

私はまじめに答えたのですけどね。あるいは、なにか誤解があるのかな。

>彼女は、「根無し草」であり「日本人」である、ということでよろしいですね。

半分あたっています。ただのバイリンガルであったら、根無し草です。しかし、彼女は日本に回帰してきているので、根無し草でなく、根のある日本人です。

バイリンガルは、オポチュニストともいえます。どっちかに根を生やさないと、どちらからも信用されません。それがイソップのこうもりです。

一つ例をあげます。あの戦争のとき向こうにいた二世たちはバイリンガルであった。そのままではどちらからも信用されない(その端的な表われが収容所送り)。彼らはあちらの人間になって(根をはやし)日本に銃を向けた。日本には苦々しいけど彼らの戦後の評価は高いです。

日本に回帰した彼女は例外でしょう。大部分の二世はアメリカに住みつづけアメリカに根を生やし、日本語を忘れています(バイリンガルはいなくなっています)。
あうふたさん
僕の質問には答えてもらえないようですね・・。

あなたのご友人のアメリカ女性は、一般に言うバイリンガルですよね?
あなたの定義に当てはめると、

>バイリンガルは両方であるようで、イソップがいうように、どっちの文化もない。ないから根無し草なのです。

なので「根無し草」です。

そして、あなたのご友人は日本語を話せるので、

>彼女は4世を経ていても日本語を使えるが故に日本人なのです。

なので「日本人」です。

ようするに彼女は、「根無し草」であり「日本人」である、ということでよろしいですね。
別れの後なので極暇さんだけに答えます。他の人はレスをつけないでください。

人には、「なに人」といったとき、人種、政治、文化の三側面があります。人は、おおざっぱに、人を、人種:生物学上の差異、政治:国籍、文化:宗教の側面で表示します。(複雑なのはユダヤ人です。人種はアラブであり、政治はそれぞれの居住している国、文化は古からの宗教を信じている。)

人種、政治は変えられない。問題は文化だ。どの文化に帰属(帰依)しているか。バイリンガルは両方であるようで、イソップがいうように、どっちの文化もない。ないから根無し草なのです。両方には根をはれない。

彼女は、人種では我らと同じモンゴロイドで、政治はアメリカに選挙権があります。彼女は日本人であるといったとき、文化が日本にあるということです。文化のなにもない無機的なヤンキーの世界から、ルーツのある日本の言葉を学んで日本に回帰したのです。

これでよろしいでしょうか。
おれは有名になっているようだ。それはおれの趣意とするところでない。このばあい、コミニュケーションの問題を論じているだけだ。

もう、いいたいことを云ったので、この辺で去る。

またどこかにおれが現れたら、それまでの言説は潰される覚悟をしてください。それが議論だから。さらば。
あうふたさん
大きな問題を取り扱い中のところ恐れ入ります。
そのアメリカ女性は英語も日本語も話せるのであれば、
そういうのをバイリンガルというのではないのですか?

あなたは、そのご友人の女性を「日本人」だとおっしゃっていますが、
もう一方でバイリンガルの人は「根無し草」だとおっしゃっています。
これはどうやって区別されているのですか?

時間が許すときでいいので、幼稚園児並みの僕にご教授ください。
おれは非常識を言う。非常識を語るのに議論の意味がある。なにおー。ほら、すぐ守旧のぼっちゃんたちはいきまく。科学の新発見、新発明はぜんぶ非常識だろう。そうでないと無意味なのだよ。

といっては、また園児たちの混迷を深めるだけだ。幼児はきらいじゃないけど、コミニュケーションにならない。何語も通じない。幼いからしょうがない、ということにする。
たた さん、
>飛躍しすぎて
下のほうで飛躍が小さいとあるよ。

でも さん、
>・・・、あうふた氏は飛躍のスケールが小さい。
上のほうで飛躍が大きいとあるよ。おれは高飛びの競争をしているのじゃない。

極暇 さん、
アメリカに住んでいるから、英語を話せるよ。
>「生物学的用語」を使用されるのですか?
女に訂正しますね。

age荒らししてるの誰? さん、
嫌なら、ここまでわざわざやってこなければいいのに。

なんか幼稚園にいるみたいなレスが返ってくる。おれの議論は、仲よしこよしのお遊戯をやっているのでなく、含蓄があって晦渋で、大きな問題を取り扱っており、それに高尚でもある(えへん!)から、まず、頭をよくして、勉強して研鑚してから読んでください。それと、へ込まされても、泣き喚かないで、耐える神経の太さを持ってください。
この板さ、痕跡残ってないけど確実に誰かがやっているよね。
怪しいのは沢山カキコして珍説を繰り広げている奴あたりかな。

あうふたさん、素朴な疑問なんですが、あなたのご友人の日系4世のライシャワー博士に弟子入りされていたアメリカ女性の方は、英語は話せないのですか?

それと、あなたはその女性を「日系4世のアメリカ女性」と書かれていますが、なぜ友人にあえて「生物学的用語」を使用されるのですか?
偉大なる指導者であらせられるカツヲ将軍様に比べたら、あうふた氏は飛躍のスケールが小さい。
だから嫌われるんだね。
雑談スレでなくここの掲示板で嫌われ者なのに、再び現れた変なおっさんのオナニースレとなりました。
勝手に口論吹っかけるだけで、他人からの質問は無視、わけわからない応対だし。
ヒマだったらかまってみるのもいいかもしれませんけどね。
えっと、ヴェトナムは旧フランス植民地なのでどれくらいフランス語が通じるかという純粋な質問だったのですが。(例 フランス100%、ラオス60%,etc)
まさかヴェトナムが旧フランス植民地、という事実を知らなかったのですか??
あなたのレス、質問から飛躍しすぎて何を言っているかさっぱりわかりませんし、正直キモイです。(まぁ興味ありませんが)

質問するスレッド、というより雑談スレなのかな。だったら私が来るとこ間違えたかも。
たた さん、

>フランス語で話すとどれくらいの確率で理解してくれるのでしょうか。
また失礼になるのでしょうか??

フランス語は知らない人(私など)には数式を使うようなものです。数学も言葉ですよ。それの識語人口がごく少数ですから理解する人は殆どいないでしょう。失礼かどうかは相手によります。私は知っていても使いたくないです。

>お互い外国語ということでOKかしら。

他に意思の疎通手段がなければそうするのはやむをえないです。そんなことより、その「かしら」ですが、あなたは女ですか?(私は「女」という語を意識的に使います。「女性」は生物学用語であり、「めす」という意です。そんな獣あつかいされる語を使われては嫌でしょう。)

日本には女文化というものが画然と存在したのです。これは世界でもめずらしい、世界に誇るべきわが民族の誇りです。それがいつの間にか女から女言葉が消えてしまった。文明(文化)の退化です。わが聡明な女たちは、やがて気づき、マドンナなどとおだてられていないで、女文化を復興してくれるでしょう。(ベトナムにも女言葉があるのだろうか。ご存知の方は教えてください。)
フランス語で話すとどれくらいの確率で理解してくれるのでしょうか。
また失礼になるのでしょうか??お互い外国語ということでOKかしら。
バイリンガルの嘆き

スイスは平和で、人はうらやみあこがれる。しかし、ノーベル賞を輩出しても目立った存在感がない。その数は人口比では世界一なのに。スイスのある女性が「自分たちには文学がないの」と嘆いていたのを思い出す。彼女はバイリンガルどころか、トリプルであった。そういわれると何もない。第一、言葉が無い!

絢爛たる平安文学が華開いたわが国とは異なる。彼らは文化の華である自らの文学を、言葉を持っていないのです。あの戦争で破綻したとき、これでわが国は滅亡した、そのとき国語をフランス語にしよう、などという輩まで出た。言葉を甘く見るな。どっこい、生き残り、再生したのである。

あなたはローマ人(あるいはその末裔)に会ったことがありますか。ない?世界帝国を支配していた市民を一人も知らないとは、どうしてでしょう。失われた民だからです。日本やベトナムの人たちに、その帝国の言語であったラテン語を学ぶべきだといいますか?ラテン文学といえるものは実に貧弱である、いや無いとさえいえる。そして帝国の滅亡ともとに死語になってしまった。帝国の言葉が、である。言葉の文化のない民族(国)は滅びるのです。
ですな さん(変な名前ですね、変えたら!)

>日本にいる日本語しかしゃべれない韓国・朝鮮人は日本人、

私が言うように、「人」は付けないで、韓国・朝鮮の人とか日本の人にしてください。それをくっ付けると、政治用語になります。私は民族(文化)の話をしているのだから。

>バイリンガルの人はどうなるのかな、

どうにもなれないでしょう。イソップはどちらにもなれないといっています(『こうもりと鳥とけものたち』を参照)。バイリンガルの人は、都合によって鳥になったり、獣になったりする蝙蝠(こうもり)です。だから、どうにもなれない。彼らは、今様にいうと、種無しだから根無し草でしょう。

シンガポールは、反語として取り上げているのです。これくらい分かってくれなきゃ。

>「国語」でなく「公用語」

同じようなものです。「国語」の訳語が英語では使われていないのです(national language という英単語はない)。私は判読しやすくするため、ただそのためにだけ便宜的に国語に公用語を含めています。

次回に「バイリンガルの嘆き」を書きますね。
珍説ではたとえば日本にいる日本語しかしゃべれない韓国・朝鮮人は日本人、また在米とかブラジルの日本語を習得する機会のない日本人は、それぞれその国の人、
また両親の出身国が違うバイリンガルの人はどうなるのかな、プッ。
シンガポール興味ないといってるのに、また書いてるし。
上にもあるようにシンガポールの英語は「国語」でなく「公用語」。
公約数の言語の議論するだけ無意味でしょ。
知らん物は知らない、知っていれば知っている。
胡志明 さん、

日本人とは何か、ベトナム人とは何か。それは日本語を話すから日本人であって、ベトナム語をしゃべるからベトナム人です。言葉にその民族の、文化の核、根幹があります。母語を失った人は根無し草です。なに人というのは国籍でないです。人種でもない。民族の核、その言葉を使う人です。自分の母語を話す人です。

日本という国土からどれだけ離れても、いくら年数を経ていても日本語をしゃべる人は日本人なのです。私の友人に日系4世のアメリカ女性がいます。彼女は国籍はアメリカであっても日本人です。日本語を使えるからです。日本語を猛勉強して大学でライシャワー博士の弟子になったほどです。それはそれは流暢な日本語をしゃべります。彼女は4世を経ていても日本語を使えるが故に日本人なのです。付き合っていてなにも違和感がありません。

シンガポールは英語という異語を国語にしたことを、私は愚かなことだといいました。それは文化の核を自ら捨てて根無し草になったからです。彼らの自分(自己)はどこに行ってしまったのだろう。分からないほどに存在感がないです。

日本はそれに似てきている。経済力では世界二位で、でかい国であるはずだけど、日本がよく見えない。見えないほど小さい。民族の核を失いつつあるからでしょう。ひるがえって、ベトナムの存在感は相当なものです。
胡志明さん

ヴェトナムへはお仕事で行かれるのですか?

観光旅行でしたら、全くヴェトナム語を知らなくとも問題ありません。
自分は、卑猥語と罵倒語以外のヴェトナム語はわかりません。

ハァ? さん、

言葉の問題を論じているのだから、あなたは「 ハァ? 」だなんて無粋なのでなく、もっと気の利いたハンドル名を付けてレスをください。

失敗について、「日本人(私)の目からは、」とちゃんと断っています。注視について、これはよく見る(観察する)ということで、適語です。よくお読みください。

シンガポールについては、私は「知らない」し「興味ない」といっているでしょう。
人様のこと「失敗している」だの「注視していきたい」だの、あんた
何様のつもりよ。

なお、シンガポールの言語は外務省サイトによると
>国語はマレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語。
ですよ。基本的なことは確認されてはいかがでしょうか。
シンガポール観光局のサイトでも
>公用語は、英語、中国語(マンダリン)、マレー語とタミール語です。
となってます。
もちろん英語が多く流通しているという状況はあるけど。
あまり怪しげな文化論を展開するのはいかがなものでしょうか。
胡志明 さん、

シンガポールは近代化して私には興味がないので何も知りません。ただ中国系が圧倒的に多いことと、無機的な根無し草の文明人がいる、とだけを何かで知っています。シンガポールの中国系はその人口構成の大部分を占めていても、彼らに便宜的に「系」をつけるだけで、自らのアイデンティティを失い、中国系で無くなっている、といえるのでしょう。

>共通の第一言語として英語を選択しました。
そうなのですか。愚かなことをしたもんです。それでは中国系はますます根無し草になるだけです。

似た話として、私はアメリカやブラジルにいる日系人には興味があります。民族文化の根を断ち切って、如何にして民族のアイデンティティを保持しているか、に関心があります。どちらも、日本人(私)の目からは、失敗していると思います。彼らはアメリカ人やブラジル人になっていて、日本人とはかけ離れた人間になっています。そうなるしかないし、それでいいのでしょう。

在住している人たち(美子さんたち)が今後どうなっていくかを注視していきたいとおもいます。

中高生のベトナム語のレベルは、はっきりとはわかりませんが、
感覚的に日本と似たり寄ったりといったところじゃないでしょうか。
中には英会話の学校に通っていて流暢に話す子もいますが、
日本でもきっとそうですよね。
たまたまそういう子に会っちゃえば「ベトナムの高校生は英語が上手」
などと思ってしまいそうですが、実際問題は新聞などでは
なぜ英語教育が成功していないのか、といったことがよく報じられています。
学校に通わないストリートにいる子供たちのほうが外国人なれしていて、
流暢な英語をしゃべったりしますよ。
質問者です。中国から戻ってまいりました。無駄とは知りつつも何人かの中国人にベトナム語についてたずねましたが、やはり中国語のどの言葉が漢越語に転化したとかそういうことは分かりませんでした。ただ、今回きいた中国人はみな、ベトナムは独立した国家であって、その言葉も中国語の影響を受けていても独立した言葉で、それは日本語とかといっしょでしょ、という認識ではほぼ一致していて、中国の一地方などという不遜な意見が聞かれなかったのにはホッとしました。

さて、わたしは、今月中旬に始めてベトナムに行く予定で、ベトナム語は話せない、ではホーチミン人には英語・中国語は通じるかと聞いたところそれも絶望的との回答に少々がっかりしていたのですが、あるいは中高生などでしたら英語は通じるのかなとも思い当たりました。この辺はいかがでしょうか。

あうふたさま、
ご意見、興味深く拝読いたしました。シンガポールなどの事例はどのように考えられますか。シンガポールは、華人、マレー系、インド系などの混合体であるがゆえ、共通の第一言語として英語を選択しました。数の論理で中国語を第一とすれば、他の民族系と軋轢が生じるし、小国家を発展させるためには世界語を共通語にしないと取り残されるという意識があったからでしょう。いろいろな諸要素を鑑みて言語を選択すればいいと思うのですが。
みなさん、

うーむ、いろいろ考えると、ベトナムのほうが正しい。英語を世界言語であるとする(被)植民地根性の輩は間違っている。我らは東洋人であって、コーカサシアンでない、ベトナム人はベトナム人であってヤンキーでない。だから日本人は、ペトナム人は、日本人のごとく、ベトナム人のごとく振舞うのは、その言葉をしゃべるのはあたりまえである。ほかの言語は要らない。

それを互いに、ベトナム人と日本人のコミニュケーションに第三言語である英語を使うなどというのは噴飯ものの言説である。

ベトナム人とは日本語を使うのがいい。それで間に合うはずである。なんで第三言語を互いに使う必要があるのか。ない。
みなさん、

黙っていても、共通のコミニュケーション言語がなくとも、わかるもんです。分からない?それはあなたがボディ ランゲージを解せず鈍感だからです。

世界のどこでも音声言語が通じると思うのは何も知っていないからです。しかし、知らなくともいいじゃないか。知っていることだけで何が悪い。

ベトナム語。これは世界に新規な言葉です。かつて日本語がそうであった。そんな目新しい言葉にいちいち対応して学習していられない。そういいつつ、何とかしなければ。

ベトナムはボディ ランゲージと少しの武器でアメリカを跳ね返した。これは是であったか非であったか。言葉がすべて、という西欧哲学の前提を問います。

言葉の楽しみというのがあるよね。これは文化を共有する人たちに限られる。それが難しく、おれはぜひとも仲間入りしたいとおもっている。
みなさん、

コミニュケーションは我らの共通の切実な問題ですから、さらに続けますね。もちろん、これはベトナムに大いに関係ある。

内面を動作で表現するある舞踊グループにかかわって、アメリカを4回も訪ねた。おれはその4回とも無言で通した。それは踊りだから言葉はいらない。それで大新聞に好評記事を大きく書かれたよ。ある大学での公演でたまたまノーベル賞の受賞が発表された。おれは「そんなことより今日この公演があることのほうがあんたがたに名誉なことだよ、と言ってやった。これだけは言葉を使った。

多くの大騒音は聞こえる。嫌になる。ピストルの発射音らしき音を聞いた。あれはビール瓶を割った音でない。それは無言の殺意のボディ ランゲージ表現だろう。

道端の乞食に黙ってばら銭をあげたら、ずいぶんに多かったせいかでかい声が返ってきた。ただ礼をいいたかったのだろう。地下鉄に降りていったら浮浪者が黙って道を譲った。嬉しかった。

おれも下手をやっているらしい。コンビニに黙って入ったら怪しむ視線を感じた。もっと修練を積まなきゃ。
ベトナムに関係ない珍説の弁論というかオナニーは自分でサイトでも作ってやってください。
みなさん、

ポーランドを旅行したとき、ベトナムと同じで、おれはそこの言葉を何も知らない。向こうの連中もおれが何人すらも知っていない。ホテル内のバーではあれこれ身ぶりするだけで意思をとおせた。宮殿も見れた。動物園に行ったら、象たちと子供たちはおれと同じボディ ランゲージを使ってくれたので彼らと仲良くなった。

どっかのでかい公園を散歩していたら、なんか大きな声が聞こえる。何かとおもって振り向くと怒った顔が見えた。そうか、芝生に入るなということか。

ピアノ コンクールを楽しんだ。その会場に入ったとき、入口でおっさんが何かいう。おれはそれを無視して観客席についた。しゃべれないといい、入場料をただにできた。(そのとき、ある高名なピアニストが視線に入った。)

ただ、広場で酔った女の子が吐いるのに何も手助けできなかったり、ビアホールでコーカシアンの娘にカメラにそっぽを向かれたのは、残念である。
コミニュケーションはボディ ランゲージを使うのが誰しも一番多いのではないですか。議論やディベートでなければ、これで殆どの場合間に合います。手まね、指差して、顔の表情などの動きを伴い、身体の表情で意思を示すのです。

「あー、あー」とか「うー」とか唸って手でチケットを指差せば、意思が分かってたいていそれを売ってくれます。メニューも指差し、ウエイターの顔を見れば、彼(彼女)はうなずくでしょう。恋心は目を見詰めるだけでいい。

危険なときに、空手の格好をしたら相手は逃げたと聞いたことがことがあります。吼えるのもいいです。そんなときは怒声を伴うのがいい。これは日本語でいい。普段からでかい声を出せるよう訓練しておくのです。声は随分にでかくできるものです。
男:「なにすんだ!」、「なにおー」、「てめー!」
女:「あれー」、「きゃー!」

もちろん、逃げ出すのもボディ ランゲージです。
変なの呼んできちゃったね・・・。
う〜ん、私の場合ベトナム語は新聞を読んだりしますし、
しゃべるときも法律についてとか、投資について、社会問題について
話すほうがよく話が通じます。
買い物をしたりするのには不自由はしませんが、
何でもない雑談がなかなか通じなかったりします。
(特に感情について表現したりすること)
普段どういう言葉によく触れるかにもよると思いますし、
ベトナム語の場合は漢越語からきているので、
漢字のベトナム語読みを知っていればある程度意味が類推できる
ということがあるんですけれど。
そんなわけで、ひとそれぞれ、ってことでいいんじゃないですか。
エトランジェ さん、

日常会話程度なら年齢に関係なく誰でも何でもしゃべれます。これいくら、高すぎる、安くしろ、どこそこへ行く切符をくれ、なんていうのを覚えるのは難しくないです。

私の友人でネパール語を2ヶ月で覚えたのがいます。それは皆ががしゃべることを、ただノートにカタカナで書き取って覚えただけです。それだけでも日常生活には不自由しなくなった、と言います。

難しいのは何語であれ議論です。日本の歴史、現代芸術・政治の解説であるとか、世界の文明批判とか、イラクへの侵攻の不当をなじるには相当の語学力が必要です。原水爆開発への批判・抗議とか、民族紛争の調停なども容易でない。相手の言説にかみ合わせて渡り合うというは日本人は苦手としている、というより無能です。(科学技術の説明は専門の教養があれば比較的容易。)

また、個々の民族の言葉のあやというのも難しい。そういうのは民俗学者になるのでなければあきらめたほうがいいです。
そろそろ年齢も年齢だし、新しい外国語を覚えるのが難しくなった。
それに、どうしても自分になじめない言葉もある。
永久に新しい言葉を覚え続けることは無理。
私には、ヴェトナム語は無理と思っている。


そうなると、お互いがある程度苦にならない言葉で話すのがよいのでは?

ラオス人には、東北タイのタイ語方言、ラオス語、タイ語で通している。
ヴェトナムのメコンデルタにはクメール人もいる。
ベトナムでは英語は一切使いません。
ベトナム語のみ。その方が楽しい。
ラオスでもベトナム語通じました。
タイ語は通じない。
サイゴンの物売りに押し売りされたときは
タイ人の振りをすれば、簡単に身を引くから。

ドンコイ付近のタイレストランで1人、タイ語がわかる人がいた。
胡志明さん、

ベトナム人と日本人にとって、英語という第三言語を使うことは好ましくない、そうするのは(被)植民地人の根性である、という意です。まずお互いに相手国の言葉を使うのが礼儀であり、相手を尊重することです。

国力が言語の相対的な重要度になります。日本語の重要度は日本の経済力に比例しています。わが国が弱小であったとき憲法を中国語で書いたエライ人がいた。憲法をだよ。いまどきそんなことしたらぶっ飛ばされる。

世界はすでに東アジアの時代です。日本語はその中心言語になりつつあります。皮肉なことに、当の日本人がそう思いたくない。我らは完膚なきまでに徹底的に叩きのめされ、(被)植民地人根性を染み込まされたからであろう。

その昔、ロシアでは自国内で自国民同士の意思の疎通にフランス語を使っていた。そうするのがかっこうよかったのです。(被)植民地人根性である。それを心あるロシア人は苦々しく眺めていた。そういう状況から現代はなんと様変わりしたことであろう。

英語は、その帝国の衰退とともに死語になったラテン語と同じ運命を辿る、と私は思っています。

原則は互いに相手言語を使うことです。
ベトナム語が韓国語に近い位置づけでまずいとなると、日本語、韓国語、タイ語等と同様の位置づけと解釈します、に訂正します。
広東語の件も、認識のずれがあるようですので、これ以上は不毛かも知れません。広義の広東(福建)語が普及していた、で手を打ちますか。
なお、客家人ですが、起源は北方ではなく、中原と言われていたかと思います。蛇足。

あうふたさんの話ですが、ベトナムの地で日本人が英語を使う必要なし、ベトナム語ができないのなら日本語でとおせ、という部分には同意できるところもなくはないです。しかし、日本人がThank you と言って自分が植民地人になったみたいで気持ちが悪いのであれば、ベトナム人がありがとうという場合も同様の感情が起きるということに他ならないのでは。
みなさん、

みなさんは一つ忘れていませんか。それは日本語です。美子さんがそれに少し触れているだけで、ほとんど無視です。自分たちの言葉なのに。日本語というのはけっこう大きな言葉であり、それの流通は急激に世界に広まっています。

私は世界のどこでもできるだけ日本語で押し通そうとします。どうしてもしょうがないときにだけ、かったるい英語を使います。Thank you とかは、自分が植民地人になったみたいで気持ちが悪い。彼らが分からなくとも「ありがとう」と日本語をしゃべります。そうしていれば、彼らはそのうち日本語を覚えてくるでしょう。そうすることが彼らに重要な、そして望んでいる日本語を学ぶ機会になります。(それと同時に、私もベトナム語を覚えなきゃ。)

日本語は、世界の言語(3000 あるという)のなかで重要度は中国語を上まって、英語に次いで二番目である、と私は思っています。
> 少々強引ですが、ベトナム語は韓国語に近い位置づけと解釈します。

どういう意図かわかりませんが、この解釈は、かなりマズイかと。

> 広東人とは広東省出身者のことです

『幇』を出したことで、かえって考えが伝わらなかったようです。
僕がいいたかったのは、広東省出身=広東人ではなく、同じ広東省出身
でも広東人・潮洲人・海南人は別に扱われるとの意味合いです。
もっと簡単に書くと、広東人の解釈が、胡志明さんと僕とでは異なるの
で、伝わらないのかなとも…。
ちなみに客家人は、広東省出身が多いけど、元は北方にいた人達で、長
い歴史の中で南下したといわれてますよね。

と、ここまで書いて面倒になったので……以下、略。
本来なら図書館にでも行って調べることが皆さんのおかげで分かってきました。感謝です。
少々強引ですが、ベトナム語は韓国語に近い位置づけと解釈します。
ベトナム語は華語の一方言、というのは一部の中国人が抱く誤解で、そんな人の中には韓国語も日本語も同様に考えているようです。そんな連中で過激なのは、香港、澳門、の次は台湾、それからベトナムに日本・韓国…となってくる訳です。

ところで、広東人とは広東省出身者のことですが、省内でも客家人(広東以外にもいますが)、潮州、海南(現在は海南省として独立)はそれぞれの言語を持っているなど、広東人のすべてが広東語を第一言語としているわけではありません。その意味で広東人が広めたといっても広東語とは限らないということです。「幇」はその土地以外の人たちが何らかの目的で集まったグループのことで、通常は信用の問題などで出身地別に組織されていますが、別に潮州出身の人が上海の幇に属してもいいし、どの幇にも入らなくてもいいので、なになに人とかなになに語とかの概念とは別物のように思います。わたしも付け焼刃なので、できればお勧めの「しにか」を探したいですが…。

いずれにしても、言葉のことが分かってくるとベトナム文化がわずかながらも見えてくるような気がします。
漢越語はベトナム語の7割ぐらい占めるといわれますが、
中国の一方言という言葉は当てはまらないと思いますよ。
修飾語の位置など文法的な大きな違いもありますので。
口語(特に南部)になると漢越語の割合はもっと少なくなるので、
書き言葉として漢字が取り入れられていったのではないでしょうか。
んでもって鴨ラスカルさんがいうとおり、漢字は知らなくても
言葉の持つ意味はわかっていますので、
ベトナム人が日本語を勉強するとき、
ベトナム語がどの漢字に当てはまるのか、
日本語のどの漢字なのか、というのを覚えてしまうと、
爆発的に語彙が増えるように思います。
ちなみに名前は大部分が漢字で書き表せますが、
ごく少数当てはまらない人もいるみたいです。
少数民族なんかはあてはまらなかったりしますしね。
> 客家・潮州・海南も広東省になりますし、
> 狭義の広東語と断定するのはどうかという疑問

華僑の『幇』を基準にしたら、広東人・潮洲人・海南人は別になる
から「広東人」と呼ぶのは違うんじゃないですか。。。って、付け
焼き刃な知識しかないから、よく知らんけど。

> ベトナム人の名前は100%漢越語起源かと思っていた
> 名前を漢字で書ける人がいないとなると、そういう訳ではないということでしょうか。

ベトナム人の名前は、ほとんどが漢越語といわれています。
で、漢字で書けない人でも、漢越語だというのは知っていて、漢字
としての意味を知っている、といわれています。

> 華語の一方言という位置づけの方が近いかと>ベトナム語

ベトナム語は言語体系としては、カンボジア語とかと同じなので、
そういってしまうのは、ちょっとマズイかと。


ということで、詳しくは『月刊しにか』97年8月号の「特集・
ベトナム小百科」を読まれると、よいかと。
>もともとあったその国の言葉に中国語起源の言葉が加わって形成された言語

と言うよりはむしろ、華語の一方言という位置づけの方が近いかと>ベトナム語

>あまり名前を漢字で書ける人がいないとなると、そういう訳ではないということでしょうか。

何のためにホーおじさんはクォック・グーを制定したのか、と。

世代による差もあるのかも知れません。韓国ですら全斗煥時代に愛国主義で漢字教育をやめていたためそのころ学生だった人たちは漢字をほとんど書けない人が多いようです。あるいはベトナムでは社会主義大国の言語ということでロシア語とか中国語を学習した世代がいるとか想像してしまうのですが。

>中華系ベトナム人の多くは、祖先が広東人
客家・潮州・海南も広東省になりますし、それぞれ独自の言葉を持っています。いずれも移民を多く排出した民族・地域ですので、狭義の広東語と断定するのはどうかという疑問があります。わたしの知り合いに潮州出身の客家人がおり、潮州語、客家語、広東語、普通話と4つの中国語を使い分けていますが、彼女をホーチミンに連れて行けばこの辺の謎が解けそうなどとくだらないことを考えてしまいました。

さて、今の関心事は漢越語です。ベトナム人の名前は100%漢越語起源かと思っていたのですが、あまり名前を漢字で書ける人がいないとなると、そういう訳ではないということでしょうか。また、もともとあったその国の言葉に中国語起源の言葉が加わって形成された言語として、日本語・韓国語と同様のもの、といっていいのでしょうか。


>名前だけなら、漢字で書ける人はいますよ。

日本語とか中国語勉強している人。中華系以外で、
自分の名前漢字で書ける人に私は出会ったことないです。
大部分の人は漢字はまったく書けないと思ったほうがいいと思いますけど。
> 普通話と呼ばれる北京語ではなく、南方の言葉が使われていそうですね。

チョロンに住む中華系ベトナム人の多くは、祖先が広東人である
ことが多いらしいです。
例えば、『Sai Gon』が『西貢(※)』なのは、広東語の読みで音が
似ている漢字を当てたといわれているので、それだけを考えても、
かつては広東語が主流だったのではと。
ただ、最近はマンダリン(普通話)を話す人も多いと思います。
ちなみに、「Ha Noi」を「河内」、「Ho Chi Minh」を「胡志明」
と漢字表記するのは、漢越語だから。

※広東語読みだと『サイクン=Sai Kung』

> 自分の名前も漢字では書けない

名前だけなら、漢字で書ける人はいますよ。

> 台湾人、新加波人、香港人

台湾は、北京語(マンダリン=普通話)で繁体字を使用。
シンガポールは、かつては福建・広東・客家・潮州・海南など、
それぞれの方言で話していたけど、今はマンダリン(普通話)
が普及し、また文字も簡体字を採用。
香港は、広東語で繁体字を使用。

来月初めてのベトナム旅行を予定しているので、500語彙はきついですが、旅行者のマナーとしてのあいさつや買い物会話などの最低限の言葉は覚えようと思っています。
それとは別にホーチミンの文化事情のひとつとして外国語の通用度に関心を持ちました。植民地支配の歴史や長い戦争体験、隣国との侵略被侵略、移民の受け入れと亡命者の輩出、自国語がマイノリティに属するという自覚、それに昨今の観光ブームによる外国人の氾濫…ざっとあげても、ホーチミンで外国語が普及する要素が多く存在するように思えたのですが。
通じないよりの意見が多かったのは、やや残念です。やはり政治体制の問題の方が大きかったという感じでしょうか。
中国語はうっかりしていました。ここでは普通話と呼ばれる北京語ではなく、南方の言葉が使われていそうですね。客家語か潮州語あたりでしょうか。
ベトナム人の名前は漢字起源のものが多いと思うのですが、自分の名前も漢字では書けないというのが、現状なんでしょうか。
ナイトワーク系のおねえさん達は中国語上手な人多いよね。何でもベトナム語と中国語は似ているのでマスターしやすいんだってさ。

中国語って言っても台湾人、新加波人、香港人が話す中国語のことだから正式には何語っていうのか知らないけど。

平日の昼間なんかでも里帰りしているおねえさん達多いから、地方行きのミニバンなんかに乗れば話する機会くらいはあると思うよ。
日曜日まで住んでたBinh Thanh区の家の近所は、ベトナム語オンリー
の世界だった。
ただ、右隣の家の人は『英語教えます』って看板だしてた。
が、隣の家の人が英語話してんの聞いたことないし、僕にもベトナム
語でしか話しかけてこなかった。
あと、漢字の筆談なんて、チョロンならともかく、それ以外の場所で
は、全然通じないと思うけど。
だって、ベトナム語を普通に書く時でさえ、綴りや声調のアヤシイ人
いるし。。。って僕の身近な人だけだろうか…。
市井の人々はベトナム語だけだろな。英語10%なんてありえない。
う〜ん、わからないです。
そんなにたくさんの人と話すわけじゃないですが、
観光施設、土産物屋、エリート大学生などを除外して、
チョロンなど中華系の人が住むところを除くと、
ベトナム語しか通じないと思ったほうがいいと思いますけど。
ホーチミンだと、もっと英語は通用すると思うけど・・・・。
通用するってのが どの程度の英語力なのかにもよるけど、
コミュニケーションとる程度だったら、どこの店でも一人は英語がそれなりにできるやつがいる。

フランス語は使えないからわからないけど、学校はけっこうありますよね。
中国語もけっこう勉強してる人とか華僑とかも多いし、筆談も出来る人いますね。
とゆうか、ベトナムいる華僑は英語も出来る人多い印象があるけど。

日本語。韓国語できる人もかなりいますよ。

サイゴンでも1区3区と、ちょっと中心部から離れるのとでも大分変わってくるし。

英語でも十二分暮らしていけるけど、興味あるなら少しベトナム語、覚えたほうが
たのしいのでは・・?

使える単語、500ぐらいだけでも、知ってると知らないとじゃ、ぜんぜんちがう。
多少知ってるほうが コミュニケーションとりやすいし。やっぱし。

でも、個人差あるのかもしれないけど、
言葉が壁で 意思疎通が困難に感じたことはあまりないなぁ〜。
日本語同士でも 誤解とか多いのに。






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