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そうだよね!
デリケートだわ↓。

修復せしめるには、姑さんが、貴殿に対しての情報を、正しく認識する事が最初の段階なんだけど、それにはツールとしての言語の問題だけでも、ないんだよニェ〜!

関係修復をしなければならない状況に陥れさした張本人が、そのお姑さんである限り、下手にクドクド説明でもしようものニャら、

『何か、私が息子に言い聞かせた事に、不満でも有るのかい? 因縁でも吹っかけてるつもりかい?』

年寄りは頑固ですよニェ!

こういう時は、ベトナム人の根にある喜怒哀楽の感情変化を、如何にトリートできるか? …って事の裏返しなのだかリャ、ベトナム歌謡の詩でも、訳するのも、得るものでも沢山有るかも知れないよニェ〜!

An Namの地下バーにて、ご年配歌手の謡う、ベトナム歌謡なんて、これまた、ベトナム人の感情変化を詩に託した様なものでチュから、学ぶモノも数知れないでしゅな!

相手は、その辺のチョロチョロした若造じゃないんだかリャ、まずベトナム芸能から、ベトナム人の心底を学ばなくてはいけないのだよニェ!

考えてみると、日本人同士でさえ、相手の心情なんて、簡単には分からないし、気持ちも通じない事の方が多いよニェ。

まだ、ベトナム人の方が、見た目だけの範囲では、実に気さくだかリャ、通じてる様な場合(これは、日本人側の錯覚だよ。)も多いんだよニェ!