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司馬遼太郎「人間の集団について」を持ってるひと、91ページ(文庫版)
をご覧になると、数は千数百人となってて、そのうち南部に残ったひとが
作ったのが「寿会」だとなってるんですね。で、司馬氏はその会長の青木
というひとに、73年4月に会いに行ってる。

つまり千数百人のうち「700人」が北のホー政権下に居残り、のこり数百人
が南のベトナム国に残った。で、両サイドで軍事教練やってたってことな
のかな? で、54年にホーチミンが日本兵を帰還させたってのは、前者の
700人のみで、ベトナム国は別に日本に帰還させる意味はなかったから
(南にとっては味方だし、文人まで応援のために南入りしてたし。つまり
北にとって日本は南を公然と応援する国だったので、ホーチミン政権は
帰還させた)、後者が居残ったのが、寿会である・・・かな?

ちなみに寿会ってまだ存命のひともいるのでしょうかね。