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》小学校のとき天然パーマだったので「黒人」とあだ名されていた子供がいた。
》天パのことで、悩んでいたな。

》そういえば、こんなこともあった。
》「ヴェトナム人」、「ヴェトコン」と呼ばれていじめられていた子供がいた。

その子は「黒人」と呼ばれることを喜んだと考えますか? そんなことないですね。

【「ヴェトナム人」、「ヴェトコン」と呼ばれていじめられていた子供】はヴェトナム人に対して好意や誇りがあったのでしょうか?
いじめている子供には全く「ベトナム人への敬意」が無かったのでしょう。(原文を書かれている方も「いじめられていた」と断言していますね)

これって差別発言、ののしりのひとつだったのでしょう。

そこで、「ありがとう。ボクはベトナム人のように立派に生きている」と考えられれば素晴らしいですが、この例では「そんなふうに言われたくない」ではないですか?
(「黒人」の場合は、たとえばスポーツファンで憧れの黒人プレイヤーがいるとか、で環境は変わりますね?)

これって、「言う側の気持ち」よりも「言われる側の気持ち」ですね??
まぁ、上記は明らかに言う側が意図的に「悪意」を持って言っていますがね。

不快に受け取られる発言を「そんな意味ではないから問題ない」としている。


・・・あ、引用させていただいたのはキシたんではなく、エトたんでしたね。

あなたは天パーの(同級生等)に「黒人」と言って反論されたら「遺伝子うんぬん・・・で、悪意は無いよ」と語るのでしょうか?