• このエントリーをはてなブックマークに追加
93年〜96年にベトナムに住みました。当時の部下から聞いていた話
です。

75年以降、とにかく金のある奴ら(華人系中心です)から良い(?)船を
チャーターして逃げだしたそうです。貧乏人は悪い船でコケて捕まる。
また、ブンタオあたりで待っているそのチャーター船と言うのが、
北政府系の手配師が持っていたものらしいです。
つまり、全財産没収のうえ、難民におなりなさい、ということになった。

結果的に貧乏人と逃げ遅れた資本家が残り、さらに逃げ遅れた富裕層
・知識人は強制収容所で「再教育」を受けなさいということになった。

チョロンの人口は最盛期の100万人から50万人まで減ったそうです。
年の若い順に逃がしたとも聞いています。

そもそもチョロンはメコンデルタのコメの流通と金融を握っていたわけ
ですから、富の象徴・資本主義の権化みたいなところで、北政府として
は絶対に見逃せない(政治的にも経済的にも美味しい)ところです。

ホーチミンの言葉で「自由と独立ほど尊いものはない」とありますが、
これは国家レベル・民族レベルでの「外国支配からの自由と独立」ですよ。個人レベルでの自由と独立はどうでもいい話だったようです。