『フエのミニホテル「ビンズオン /Binh Duong」ってどう?』のコメント No.3
微妙に話が違うがここのことじゃないかなあ
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3553/vietnam004.htm
日本人宿という商売 1998年7月
ハノイの安宿においてある情報ノートにお勧めの宿として書かれていたフエのTHAI BINH GUEST HOUSEにやってきたのはもうすぐ8月になろうかとしていた頃だった。かれこれ日本を出てから3ヶ月がたとうとしていた。この宿はまだ、出来てから1年ほどしか経ってなく、ガイドブックにも掲載されていないということだったが、評判は良いらしく、訪れることにした。同行者はハノイの安宿で一緒だった3歳年上の兄さんだった。たまたま行く方向が一緒ということで、ここまで一緒にやって来た。10日間ほど一緒にいたのだが、結局最後まで本名はお互い知らないままだった。
「9月頃にはネパールにいるよ。」「じゃあ、そこで再会できるかもな。その時に改めて自己紹介しよう。」「運命の再会ってヤツだな。それもカッコいいかな。じゃ、気をつけて。」そんな感じで彼と別れたが、結局それから2度と会うことはなかった。でも、そんな出会いを後悔はしていない。旅の出会いはそんなものだと思っていた。そう、妙に切なくて、どこか温かい。だからこそ、旅での出会いは面白い。
THAI BINH GUEST HOUSEは確かに新築の雰囲気がまだしっかりと残っている、なかなかきれいなゲストハウスだった。1階にはロビーの他、ツインの部屋が3室、そして2階は彼らの住居と、10人も泊まれば超満員というこじんまりとしたゲストハウスだった。ここを経営しているのは、ソンさんという私より3歳くらい年上の若いベトナム人だ。独特の日本語をしゃべり、ゲストハウス経営にがんばっていた。彼の毎日はとても忙しい。毎日、列車がフエ駅に着く頃になると、駅まで行って旅行者の客引きをして宿泊客のアップに努め、宿の運転資金や近隣の家とのトラブルの処理や手続きの関係などで市内を走り回って、昼間にゲストハウスにはいたことがなかった。夕方になると、泊まっている宿泊客をおいしいベトナム料理のお店などを紹介して歩いた。酒が好きな彼は、飲むと気前が良くなり、色々とご馳走してくれた。
「自分のゲストハウスに泊まっているお客さんにこうして囲まれて楽しい食事ができるのはとてもうれしいです。」と、彼は酔っ払いながらうれしそうにしていた。
宿を去っていくお客にはゲストハウスの名刺をたくさん渡し、このゲストハウスを宣伝してくれ!とお願いをしてまわる。確かに、ガイドブックに載っていない新しいゲストハウスなどはほっておいても旅行者が来ることは少なく、こうした地道な宣伝活動が大切だった。彼のサービス心あふれた対応とこうした地道な活動は1年たってようやく実り始めてきたようだった。現に私も以前にここに泊まった事のある宿泊客の情報を元にこのゲストハウスを訪れたのだから。こうして考えてみると、1年中休みがなく、常にこうして仕事をしているのは見た目以上にハードなのは確かであった。
彼は以前、親族の経営するホテルで働いていたそうだ。そこで英語と日本語を勉強し、日本人向けのゲストハウスをしようと思いたって、このゲストハウスの建物を借金をして購入したという。その場所というのは、彼が働いていたホテルの真向かいであった。だからゲストハウスの名前もホテルの名前の知名度を利用し、THAI BINH GUEST HOUSEとした。最初の頃は客もつかず、向かいのホテルが満室になっていた時の客をまわしていてもらったそうである。まあ、親戚のホテルだったし、元従業員だったのでそれも可能だったのだろう。当初、借金の額もかなり大きく、オープンしたての頃はいつ運転資金が底をついてもおかしくないほどだったと言う。それこそ、寝る間を惜しんで働いたと笑って答えてくれたが、その努力は大変なものだっただろう。
「今でこそ、ある程度お客が来るようになったけど、今度は向かいのホテルとの間の関係が気まずくなっちゃってね。」と酒を一緒に飲んだ時に教えてくれた。これはどこの町でもよく聞く話だ。やはり隣のホテルが儲かっているのは面白くないものだ。客がある程度集まり始めると、今度は違う問題が山ほど出てくるようになる。でも、彼は自分の夢をこう話してくれた。
「もっと日本人のお客さんに来てもらいたい。安くていいゲストハウスに泊まれて旅行者もハッピーだし、私もハッピー。そして、もっと大きなゲストハウスにしたいね。実は、もう構想は考えてるんだ。それに、お嫁さんも欲しい。私、日本人の女性大好きだから!ベトナムの女性より、日本の女性はとても優しいしね。」
彼の野望はどこまで実現するのだろうか・・・。
その後、彼のゲストハウスは見事日本のガイドブックに掲載されるようになり、向かいのホテルの知名度を借りる必要もなくなるほどの人気となった。BINH DUONG GHと名前を変え、フエで最も有名な日本人宿の称号を手にした訳である。ゲストハウスも増築し、3階建てで部屋数も15室以上にも増えた。そして、日本人の女性をお嫁さんにもらい、彼の夢のほとんどは実現したようだった。ここまで大きくなったのは、きっと彼のがんばりとあの人柄によるものに違いない。これからもステキなゲストハウスであり続けて欲しい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3553/vietnam004.htm
日本人宿という商売 1998年7月
ハノイの安宿においてある情報ノートにお勧めの宿として書かれていたフエのTHAI BINH GUEST HOUSEにやってきたのはもうすぐ8月になろうかとしていた頃だった。かれこれ日本を出てから3ヶ月がたとうとしていた。この宿はまだ、出来てから1年ほどしか経ってなく、ガイドブックにも掲載されていないということだったが、評判は良いらしく、訪れることにした。同行者はハノイの安宿で一緒だった3歳年上の兄さんだった。たまたま行く方向が一緒ということで、ここまで一緒にやって来た。10日間ほど一緒にいたのだが、結局最後まで本名はお互い知らないままだった。
「9月頃にはネパールにいるよ。」「じゃあ、そこで再会できるかもな。その時に改めて自己紹介しよう。」「運命の再会ってヤツだな。それもカッコいいかな。じゃ、気をつけて。」そんな感じで彼と別れたが、結局それから2度と会うことはなかった。でも、そんな出会いを後悔はしていない。旅の出会いはそんなものだと思っていた。そう、妙に切なくて、どこか温かい。だからこそ、旅での出会いは面白い。
THAI BINH GUEST HOUSEは確かに新築の雰囲気がまだしっかりと残っている、なかなかきれいなゲストハウスだった。1階にはロビーの他、ツインの部屋が3室、そして2階は彼らの住居と、10人も泊まれば超満員というこじんまりとしたゲストハウスだった。ここを経営しているのは、ソンさんという私より3歳くらい年上の若いベトナム人だ。独特の日本語をしゃべり、ゲストハウス経営にがんばっていた。彼の毎日はとても忙しい。毎日、列車がフエ駅に着く頃になると、駅まで行って旅行者の客引きをして宿泊客のアップに努め、宿の運転資金や近隣の家とのトラブルの処理や手続きの関係などで市内を走り回って、昼間にゲストハウスにはいたことがなかった。夕方になると、泊まっている宿泊客をおいしいベトナム料理のお店などを紹介して歩いた。酒が好きな彼は、飲むと気前が良くなり、色々とご馳走してくれた。
「自分のゲストハウスに泊まっているお客さんにこうして囲まれて楽しい食事ができるのはとてもうれしいです。」と、彼は酔っ払いながらうれしそうにしていた。
宿を去っていくお客にはゲストハウスの名刺をたくさん渡し、このゲストハウスを宣伝してくれ!とお願いをしてまわる。確かに、ガイドブックに載っていない新しいゲストハウスなどはほっておいても旅行者が来ることは少なく、こうした地道な宣伝活動が大切だった。彼のサービス心あふれた対応とこうした地道な活動は1年たってようやく実り始めてきたようだった。現に私も以前にここに泊まった事のある宿泊客の情報を元にこのゲストハウスを訪れたのだから。こうして考えてみると、1年中休みがなく、常にこうして仕事をしているのは見た目以上にハードなのは確かであった。
彼は以前、親族の経営するホテルで働いていたそうだ。そこで英語と日本語を勉強し、日本人向けのゲストハウスをしようと思いたって、このゲストハウスの建物を借金をして購入したという。その場所というのは、彼が働いていたホテルの真向かいであった。だからゲストハウスの名前もホテルの名前の知名度を利用し、THAI BINH GUEST HOUSEとした。最初の頃は客もつかず、向かいのホテルが満室になっていた時の客をまわしていてもらったそうである。まあ、親戚のホテルだったし、元従業員だったのでそれも可能だったのだろう。当初、借金の額もかなり大きく、オープンしたての頃はいつ運転資金が底をついてもおかしくないほどだったと言う。それこそ、寝る間を惜しんで働いたと笑って答えてくれたが、その努力は大変なものだっただろう。
「今でこそ、ある程度お客が来るようになったけど、今度は向かいのホテルとの間の関係が気まずくなっちゃってね。」と酒を一緒に飲んだ時に教えてくれた。これはどこの町でもよく聞く話だ。やはり隣のホテルが儲かっているのは面白くないものだ。客がある程度集まり始めると、今度は違う問題が山ほど出てくるようになる。でも、彼は自分の夢をこう話してくれた。
「もっと日本人のお客さんに来てもらいたい。安くていいゲストハウスに泊まれて旅行者もハッピーだし、私もハッピー。そして、もっと大きなゲストハウスにしたいね。実は、もう構想は考えてるんだ。それに、お嫁さんも欲しい。私、日本人の女性大好きだから!ベトナムの女性より、日本の女性はとても優しいしね。」
彼の野望はどこまで実現するのだろうか・・・。
その後、彼のゲストハウスは見事日本のガイドブックに掲載されるようになり、向かいのホテルの知名度を借りる必要もなくなるほどの人気となった。BINH DUONG GHと名前を変え、フエで最も有名な日本人宿の称号を手にした訳である。ゲストハウスも増築し、3階建てで部屋数も15室以上にも増えた。そして、日本人の女性をお嫁さんにもらい、彼の夢のほとんどは実現したようだった。ここまで大きくなったのは、きっと彼のがんばりとあの人柄によるものに違いない。これからもステキなゲストハウスであり続けて欲しい。