フエのミニホテル「ビンズオン /Binh Duong」ってどう?
ずっと前に生活倶楽部にも、親の金で断てて貰ったゲストハウスを乗っ取られて離婚した
うら若き日本女性のことが話題になっていましたが、それってここのことじゃないのですか?
↓これもここのことですか?
http://www1.linkclub.or.jp/~yaksa/file/hokori2.htm
以下に記すのは実話である。
ある日本人女性(プライバシー保護のため特に名を秘すが、その条件でこの体験を公表することを許可された)がベトナムに旅行に行ったおり、中部の某市で、とある男性と出会った。この男性はとても人当たりがよく、面倒を良く見てくれるという優しい人であった。彼に求婚された彼女は、その優しさに惹かれ、結婚に同意した。一地方都市である某市で外国人女性がベトナム人男性と結婚するのはそれが最初の例であったと言うが、ベトナム側も日本側も手続きはスムーズに進み、結婚生活に入った。
彼の実家は小さいながらもホテルを経営しており、彼女はそのフロントで外国人への接客などの手伝いをしていた。しかし、結婚生活に入ったとたん、結婚前の彼の優しさは何処かへ消え去り、時には暴力も振るうなど、ひどい仕打ちを受け、その上彼の家族にも厳しく扱われたという。ちょうどそんな折り、某市を含む中部全体がひどい洪水に見舞われ、ホテルも1階が水没する被害にあったそうだが、ちょうど妊娠中であった彼女も、1階にある調度類を2階に持ち運ぶ手伝いをさせられ、それが元で流産してしまったのだそうだ。
それを機に彼と家族の冷たい仕打ちは更にひどいものになった。その後彼の暴力的とも言える様々な行為に耐えながらもその場に留まった彼女は再び妊娠したが、結局は彼とその家族の仕打ちに耐えられず、逃げるように日本に帰国し、日本側での離婚手続きをとった。日本で無事出産したものの、数ヶ月でその子どもは死亡。ベトナム側ではスムーズに離婚手続きが進まなかったようだが、今は別の日本人男性と結婚しているそうである。
(なお、この話は女性側の陳述のみに基づいて記述されているため、どこまで真実か保証できるものではない。そもそも人間というものは自分に不利になるようなことはあまり話そうとしない。そして出来る限り自分に有利になるように話をする。従って上の話にもある種の脚色が混ざっている可能性が否定できないのだ。その意味に於いて、これを以てベトナム人男性が暴力的であるという一般論を導き出すことは出来ないし、女性側だけが被害者的であると断定することも出来ない。その辺りは注意されたい。)
うら若き日本女性のことが話題になっていましたが、それってここのことじゃないのですか?
↓これもここのことですか?
http://www1.linkclub.or.jp/~yaksa/file/hokori2.htm
以下に記すのは実話である。
ある日本人女性(プライバシー保護のため特に名を秘すが、その条件でこの体験を公表することを許可された)がベトナムに旅行に行ったおり、中部の某市で、とある男性と出会った。この男性はとても人当たりがよく、面倒を良く見てくれるという優しい人であった。彼に求婚された彼女は、その優しさに惹かれ、結婚に同意した。一地方都市である某市で外国人女性がベトナム人男性と結婚するのはそれが最初の例であったと言うが、ベトナム側も日本側も手続きはスムーズに進み、結婚生活に入った。
彼の実家は小さいながらもホテルを経営しており、彼女はそのフロントで外国人への接客などの手伝いをしていた。しかし、結婚生活に入ったとたん、結婚前の彼の優しさは何処かへ消え去り、時には暴力も振るうなど、ひどい仕打ちを受け、その上彼の家族にも厳しく扱われたという。ちょうどそんな折り、某市を含む中部全体がひどい洪水に見舞われ、ホテルも1階が水没する被害にあったそうだが、ちょうど妊娠中であった彼女も、1階にある調度類を2階に持ち運ぶ手伝いをさせられ、それが元で流産してしまったのだそうだ。
それを機に彼と家族の冷たい仕打ちは更にひどいものになった。その後彼の暴力的とも言える様々な行為に耐えながらもその場に留まった彼女は再び妊娠したが、結局は彼とその家族の仕打ちに耐えられず、逃げるように日本に帰国し、日本側での離婚手続きをとった。日本で無事出産したものの、数ヶ月でその子どもは死亡。ベトナム側ではスムーズに離婚手続きが進まなかったようだが、今は別の日本人男性と結婚しているそうである。
(なお、この話は女性側の陳述のみに基づいて記述されているため、どこまで真実か保証できるものではない。そもそも人間というものは自分に不利になるようなことはあまり話そうとしない。そして出来る限り自分に有利になるように話をする。従って上の話にもある種の脚色が混ざっている可能性が否定できないのだ。その意味に於いて、これを以てベトナム人男性が暴力的であるという一般論を導き出すことは出来ないし、女性側だけが被害者的であると断定することも出来ない。その辺りは注意されたい。)
みんなのコメント 2件
微妙に話が違うがここのことじゃないかなあ
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3553/vietnam004.htm
日本人宿という商売 1998年7月
ハノイの安宿においてある情報ノートにお勧めの宿として書かれていたフエのTHAI BINH GUEST HOUSEにやってきたのはもうすぐ8月になろうかとしていた頃だった。かれこれ日本を出てから3ヶ月がたとうとしていた。この宿はまだ、出来てから1年ほどしか経ってなく、ガイドブックにも掲載されていないということだったが、評判は良いらしく、訪れることにした。同行者はハノイの安宿で一緒だった3歳年上の兄さんだった。たまたま行く方向が一緒ということで、ここまで一緒にやって来た。10日間ほど一緒にいたのだが、結局最後まで本名はお互い知らないままだった。
「9月頃にはネパールにいるよ。」「じゃあ、そこで再会できるかもな。その時に改めて自己紹介しよう。」「運命の再会ってヤツだな。それもカッコいいかな。じゃ、気をつけて。」そんな感じで彼と別れたが、結局それから2度と会うことはなかった。でも、そんな出会いを後悔はしていない。旅の出会いはそんなものだと思っていた。そう、妙に切なくて、どこか温かい。だからこそ、旅での出会いは面白い。
THAI BINH GUEST HOUSEは確かに新築の雰囲気がまだしっかりと残っている、なかなかきれいなゲストハウスだった。1階にはロビーの他、ツインの部屋が3室、そして2階は彼らの住居と、10人も泊まれば超満員というこじんまりとしたゲストハウスだった。ここを経営しているのは、ソンさんという私より3歳くらい年上の若いベトナム人だ。独特の日本語をしゃべり、ゲストハウス経営にがんばっていた。彼の毎日はとても忙しい。毎日、列車がフエ駅に着く頃になると、駅まで行って旅行者の客引きをして宿泊客のアップに努め、宿の運転資金や近隣の家とのトラブルの処理や手続きの関係などで市内を走り回って、昼間にゲストハウスにはいたことがなかった。夕方になると、泊まっている宿泊客をおいしいベトナム料理のお店などを紹介して歩いた。酒が好きな彼は、飲むと気前が良くなり、色々とご馳走してくれた。
「自分のゲストハウスに泊まっているお客さんにこうして囲まれて楽しい食事ができるのはとてもうれしいです。」と、彼は酔っ払いながらうれしそうにしていた。
宿を去っていくお客にはゲストハウスの名刺をたくさん渡し、このゲストハウスを宣伝してくれ!とお願いをしてまわる。確かに、ガイドブックに載っていない新しいゲストハウスなどはほっておいても旅行者が来ることは少なく、こうした地道な宣伝活動が大切だった。彼のサービス心あふれた対応とこうした地道な活動は1年たってようやく実り始めてきたようだった。現に私も以前にここに泊まった事のある宿泊客の情報を元にこのゲストハウスを訪れたのだから。こうして考えてみると、1年中休みがなく、常にこうして仕事をしているのは見た目以上にハードなのは確かであった。
彼は以前、親族の経営するホテルで働いていたそうだ。そこで英語と日本語を勉強し、日本人向けのゲストハウスをしようと思いたって、このゲストハウスの建物を借金をして購入したという。その場所というのは、彼が働いていたホテルの真向かいであった。だからゲストハウスの名前もホテルの名前の知名度を利用し、THAI BINH GUEST HOUSEとした。最初の頃は客もつかず、向かいのホテルが満室になっていた時の客をまわしていてもらったそうである。まあ、親戚のホテルだったし、元従業員だったのでそれも可能だったのだろう。当初、借金の額もかなり大きく、オープンしたての頃はいつ運転資金が底をついてもおかしくないほどだったと言う。それこそ、寝る間を惜しんで働いたと笑って答えてくれたが、その努力は大変なものだっただろう。
「今でこそ、ある程度お客が来るようになったけど、今度は向かいのホテルとの間の関係が気まずくなっちゃってね。」と酒を一緒に飲んだ時に教えてくれた。これはどこの町でもよく聞く話だ。やはり隣のホテルが儲かっているのは面白くないものだ。客がある程度集まり始めると、今度は違う問題が山ほど出てくるようになる。でも、彼は自分の夢をこう話してくれた。
「もっと日本人のお客さんに来てもらいたい。安くていいゲストハウスに泊まれて旅行者もハッピーだし、私もハッピー。そして、もっと大きなゲストハウスにしたいね。実は、もう構想は考えてるんだ。それに、お嫁さんも欲しい。私、日本人の女性大好きだから!ベトナムの女性より、日本の女性はとても優しいしね。」
彼の野望はどこまで実現するのだろうか・・・。
その後、彼のゲストハウスは見事日本のガイドブックに掲載されるようになり、向かいのホテルの知名度を借りる必要もなくなるほどの人気となった。BINH DUONG GHと名前を変え、フエで最も有名な日本人宿の称号を手にした訳である。ゲストハウスも増築し、3階建てで部屋数も15室以上にも増えた。そして、日本人の女性をお嫁さんにもらい、彼の夢のほとんどは実現したようだった。ここまで大きくなったのは、きっと彼のがんばりとあの人柄によるものに違いない。これからもステキなゲストハウスであり続けて欲しい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3553/vietnam004.htm
日本人宿という商売 1998年7月
ハノイの安宿においてある情報ノートにお勧めの宿として書かれていたフエのTHAI BINH GUEST HOUSEにやってきたのはもうすぐ8月になろうかとしていた頃だった。かれこれ日本を出てから3ヶ月がたとうとしていた。この宿はまだ、出来てから1年ほどしか経ってなく、ガイドブックにも掲載されていないということだったが、評判は良いらしく、訪れることにした。同行者はハノイの安宿で一緒だった3歳年上の兄さんだった。たまたま行く方向が一緒ということで、ここまで一緒にやって来た。10日間ほど一緒にいたのだが、結局最後まで本名はお互い知らないままだった。
「9月頃にはネパールにいるよ。」「じゃあ、そこで再会できるかもな。その時に改めて自己紹介しよう。」「運命の再会ってヤツだな。それもカッコいいかな。じゃ、気をつけて。」そんな感じで彼と別れたが、結局それから2度と会うことはなかった。でも、そんな出会いを後悔はしていない。旅の出会いはそんなものだと思っていた。そう、妙に切なくて、どこか温かい。だからこそ、旅での出会いは面白い。
THAI BINH GUEST HOUSEは確かに新築の雰囲気がまだしっかりと残っている、なかなかきれいなゲストハウスだった。1階にはロビーの他、ツインの部屋が3室、そして2階は彼らの住居と、10人も泊まれば超満員というこじんまりとしたゲストハウスだった。ここを経営しているのは、ソンさんという私より3歳くらい年上の若いベトナム人だ。独特の日本語をしゃべり、ゲストハウス経営にがんばっていた。彼の毎日はとても忙しい。毎日、列車がフエ駅に着く頃になると、駅まで行って旅行者の客引きをして宿泊客のアップに努め、宿の運転資金や近隣の家とのトラブルの処理や手続きの関係などで市内を走り回って、昼間にゲストハウスにはいたことがなかった。夕方になると、泊まっている宿泊客をおいしいベトナム料理のお店などを紹介して歩いた。酒が好きな彼は、飲むと気前が良くなり、色々とご馳走してくれた。
「自分のゲストハウスに泊まっているお客さんにこうして囲まれて楽しい食事ができるのはとてもうれしいです。」と、彼は酔っ払いながらうれしそうにしていた。
宿を去っていくお客にはゲストハウスの名刺をたくさん渡し、このゲストハウスを宣伝してくれ!とお願いをしてまわる。確かに、ガイドブックに載っていない新しいゲストハウスなどはほっておいても旅行者が来ることは少なく、こうした地道な宣伝活動が大切だった。彼のサービス心あふれた対応とこうした地道な活動は1年たってようやく実り始めてきたようだった。現に私も以前にここに泊まった事のある宿泊客の情報を元にこのゲストハウスを訪れたのだから。こうして考えてみると、1年中休みがなく、常にこうして仕事をしているのは見た目以上にハードなのは確かであった。
彼は以前、親族の経営するホテルで働いていたそうだ。そこで英語と日本語を勉強し、日本人向けのゲストハウスをしようと思いたって、このゲストハウスの建物を借金をして購入したという。その場所というのは、彼が働いていたホテルの真向かいであった。だからゲストハウスの名前もホテルの名前の知名度を利用し、THAI BINH GUEST HOUSEとした。最初の頃は客もつかず、向かいのホテルが満室になっていた時の客をまわしていてもらったそうである。まあ、親戚のホテルだったし、元従業員だったのでそれも可能だったのだろう。当初、借金の額もかなり大きく、オープンしたての頃はいつ運転資金が底をついてもおかしくないほどだったと言う。それこそ、寝る間を惜しんで働いたと笑って答えてくれたが、その努力は大変なものだっただろう。
「今でこそ、ある程度お客が来るようになったけど、今度は向かいのホテルとの間の関係が気まずくなっちゃってね。」と酒を一緒に飲んだ時に教えてくれた。これはどこの町でもよく聞く話だ。やはり隣のホテルが儲かっているのは面白くないものだ。客がある程度集まり始めると、今度は違う問題が山ほど出てくるようになる。でも、彼は自分の夢をこう話してくれた。
「もっと日本人のお客さんに来てもらいたい。安くていいゲストハウスに泊まれて旅行者もハッピーだし、私もハッピー。そして、もっと大きなゲストハウスにしたいね。実は、もう構想は考えてるんだ。それに、お嫁さんも欲しい。私、日本人の女性大好きだから!ベトナムの女性より、日本の女性はとても優しいしね。」
彼の野望はどこまで実現するのだろうか・・・。
その後、彼のゲストハウスは見事日本のガイドブックに掲載されるようになり、向かいのホテルの知名度を借りる必要もなくなるほどの人気となった。BINH DUONG GHと名前を変え、フエで最も有名な日本人宿の称号を手にした訳である。ゲストハウスも増築し、3階建てで部屋数も15室以上にも増えた。そして、日本人の女性をお嫁さんにもらい、彼の夢のほとんどは実現したようだった。ここまで大きくなったのは、きっと彼のがんばりとあの人柄によるものに違いない。これからもステキなゲストハウスであり続けて欲しい。
私は泊まっていませんが、ホテルのフロントには若い日本人旅行者が
集って日本語の本を読んでました。有名な日本人宿ですよね。
フエの駅で客待ちしているバイタクの中に、ここの名刺を持った運転手がいました。
私は名刺だけもらって別の運転手と交渉し、街まで行きました。
あの距離で1ドル払ったので軽くぼられましたが(笑
フロントにいた女性スタッフは日本語がとても上手でしたよ。
男性は英語しかダメという感じでした。オーナーの男性にも会いましたが、
とても優しそうで暴力をふるうような人には見えなかったのですが。。
一つ気になったのは、インターネット上でこのホテルが紹介されていて
日本人の奥さんの名前は「キミコ」さん、と紹介されているところが
ほとんどでしたが実際にいた奥さんの名前、違いましたよ。
奥さんの名前は伏せますが、子どもいて、幸せそうに見えました。
上記文章の「小さいながらもホテルを経営していた」という部分から想像するに
この文章はビンズオンではないのでは?決して小さいホテルではなかったし、
ビンズオン、ビンズオン2、そして今ビンズオン3を建てているそうなので。
ホテルの部屋を見せてもらいましたが、一番安い1階の部屋は窓がありませんが、
清潔で設備も十分揃ってました。大通りから1本入っているので静かだし。
日本人宿は好き嫌いが分かれますが、異国の地で困った時に、
日本語の話せる現地に詳しい人がいるのは頼りになると思います。
別のホテルに泊まっていても、行けば相談に乗ってくれますよ。
地球の歩き方にも女子大生レイプ事件があったらしい、とかあまりいい噂を流されてませんが、
私の印象では、そんな事件が起こるようなホテルには感じませんでした。
そもそもこの女子大生レイプ事件は、そこに泊まった日本人女性の方に
問題があったみたいです。過去ログにあります。
集って日本語の本を読んでました。有名な日本人宿ですよね。
フエの駅で客待ちしているバイタクの中に、ここの名刺を持った運転手がいました。
私は名刺だけもらって別の運転手と交渉し、街まで行きました。
あの距離で1ドル払ったので軽くぼられましたが(笑
フロントにいた女性スタッフは日本語がとても上手でしたよ。
男性は英語しかダメという感じでした。オーナーの男性にも会いましたが、
とても優しそうで暴力をふるうような人には見えなかったのですが。。
一つ気になったのは、インターネット上でこのホテルが紹介されていて
日本人の奥さんの名前は「キミコ」さん、と紹介されているところが
ほとんどでしたが実際にいた奥さんの名前、違いましたよ。
奥さんの名前は伏せますが、子どもいて、幸せそうに見えました。
上記文章の「小さいながらもホテルを経営していた」という部分から想像するに
この文章はビンズオンではないのでは?決して小さいホテルではなかったし、
ビンズオン、ビンズオン2、そして今ビンズオン3を建てているそうなので。
ホテルの部屋を見せてもらいましたが、一番安い1階の部屋は窓がありませんが、
清潔で設備も十分揃ってました。大通りから1本入っているので静かだし。
日本人宿は好き嫌いが分かれますが、異国の地で困った時に、
日本語の話せる現地に詳しい人がいるのは頼りになると思います。
別のホテルに泊まっていても、行けば相談に乗ってくれますよ。
地球の歩き方にも女子大生レイプ事件があったらしい、とかあまりいい噂を流されてませんが、
私の印象では、そんな事件が起こるようなホテルには感じませんでした。
そもそもこの女子大生レイプ事件は、そこに泊まった日本人女性の方に
問題があったみたいです。過去ログにあります。