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>ベトナムも古い時代の頃、貴重で有ったとされる珍しい香辛料なるもの、まず王様(阮朝、初代皇帝=阮福暎)に調理して献上してから、それらも地域の庶民に広がった。

ではなぜ日本の将軍には、目黒のさんまも食わさなかったのか?
健康維持のため刺激物を与えないのが通常だとおもうが。

>つまり、西欧諸国の大航海時代の始まりには、香辛料の発見が大きな成果であり、アジアにおける各王朝らにも、寄航のおり、それらの富も王に献上されたと考えるのでアリンスジャ。ピリ辛キムチの韓国も、朝鮮王朝が存在したあるよ!

香辛料、とくにコショウはアジアからヨーロッパへの伝播。奴らは肉食なので、腐りかかった肉の臭いを消すために香辛料が必要だった。
米や野菜中心のアジアの食に、香辛料は必要だったのか?
韓国王朝はピリ辛キムチを食べていたのか? キムチのピリ辛だって、冬場に野菜を保存するためで、辛いのが好きだったからではない。


>そもそもフエ王朝の宮廷料理そのものは、調理していた子孫達の家に伝わるレシピなるものを、比較的最近になって、商売的に、再現したものと認識しておりやす。

最近の食の特徴として、甘い味よりもスパイシーな辛みが好まれている。もし、商売的に再現するなら、なぜその流れに逆こうするのか?