• このエントリーをはてなブックマークに追加
ベトナムで二人の「Ngo」さんを知っています。一人はチョロン出身で広東人です。もう一人は、ダラトに住み、純粋のベトナム人で親戚も含めて、中国系はいません。75年のサイゴン陥落直前の南ベトナム政府大統領?ゴ.ディン.ジェムもダラト出身で、「Ngo」姓だったと思います。チョロン出身の「Ngo」さんは、自身でも広東人と言っていますから、広東名の「Ng」を捨てて、ベトナム風に「Ngo」と名乗っているのでしょう。つい最近の「中越戦争」時代は、中国人であることは、隠したほうが生活しやすかったと言いますから、やはり中国語を学ぶことも、中国名を名乗ることも、生活の便法で、親としては、子供に中国人だあることを忘れさせることもあったと思われます。

 もうひとつは、古くから中国に戦乱、飢饉があるたびに、大量の華人が南下して来たたことは、自明です。それは、明朝崩壊時の大量南下だけではなく、古来から続いてきたはずです。しかも海を通じてだけではなく、陸続きの南下のほうが、数的には多かったと思われます。荒い海に出るよりは、陸を下ってくるほうが、楽だからです。雲南省出身者を中心とするタイ、ビルマ北部の華人社会を見れば、陸を伝ってやって来た中国系の膨大さはわかるでしょう。同じものがラオス、ベトナムにも存在するはずです。実際、ベトナムから逃れた「ボートピープル」で、「中国革命」の戦乱の際に、中国南部の防城県や欽州から、陸続きのベトナム北部に逃れて、さらに下ってサイゴンに住み着いたものの、再び「サイゴン陥落」の混乱から逃れて、タイにたどり着いた人たちがいました。これらの人たちは、親は中国語を話していましたが、子供はベトナム語だけでした。逃げ続けるだけの人生で、それぞれの国の反中国感情を見るにつけ、生き抜いていくためには、中国語を話さないほうが、安全という事情があったと思います。