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戦死者は比較すれば、アメリカ対北ベトナム、南ベトナム民族解放戦線の比率は
1対20ぐらいになる。これが勝利かどうかは、判断の分かれる所でしょう。

『相手の土地を踏む』が基準であれば、結果としてアメリカ撤退後の
北ベトナムの勝ちと判断していいのではないかと。

最近、マクナマラ氏とその当時のベトナム要人が会議をして
『なぜあのような大規模な戦争に発展したのか?』という議論が本になりました。

原因は、

一、ベトナム側はその当時外交の素人で、国際会議の場で積極的に発言する方法を知らなかった。
よってソ連、中国がベトナムの代弁者となり、ベトナムはソ連の傀儡国家という印象をアメリカが持った。

二、仏教が多数のベトナムで、アメリカはカソリックの大統領を擁立した。

三、アメリカの膨大な援助にたかる、南ベトナムのどうにもならない腐敗。

レ・リ・ヘイスリップさんの本を読んでも、その当時の識字率が高くないベトナム人が、
『資本主義』『共産主義』など一般的に理解していなかったと思います。

ベトナム共産党もフルシチョフの『スターリン批判』から、中国との仲が険悪なった影響を受けて、
『中国派』『ソ連派』に分かれていたらしい。それをまとめていたのが、ホーチミン。

アメリカ、ソ連、中国は『ベトナムの分割』で利害が一致していた。
しかし、ホーチミンは『統一独立』路線を頑として譲らなかった。

多分、アメリカ撤退の理由は、インドネシアで9月30日事件で共産主義よりの
スカルノが失脚して太平洋のシーレーンの問題が除去された事が大きな原因だと思います。