『在住者の心理』のコメント No.127
在住者がベトナム人を「土人」という心理でみているか?というところで継続させていただく。
どんなに相手(読み手を含めて)が不快に感じる言葉であっても、
「日本語に存在」していれば使用は問題ない。(キシ様)
「使い方」が問題なければ使用しても良い。(エトランゼ様)
後者は発言者の文章を吟味すれば明らかに「使い方」に問題があると指摘できる部分があると考えられるし、発言者自身も相手が不快に感じる言葉であることは理解されているようだ。
前者は自分の子供に「土人達よ~一緒に遊ぼう」と呼びかけるように指導することをオススメする。
私自身は「言葉狩り」のような活動は馬鹿馬鹿しいと考え、しかし放送禁止用語にはそれなりの意味があると思う。
で、私も在住者として日常でベトナム人の反応に対して日本人としての意識が強いあまり「同じじゃないよ」と一緒にされたく(したくい)ない感情の強さから「区別」(差別だね)をしたい衝動で例の用語がアタマによぎる。
でも実際に発言や表現はしない。
それだけ、相手が不快に感じるだろうって言葉と考えているから。
どんなに相手(読み手を含めて)が不快に感じる言葉であっても、
「日本語に存在」していれば使用は問題ない。(キシ様)
「使い方」が問題なければ使用しても良い。(エトランゼ様)
後者は発言者の文章を吟味すれば明らかに「使い方」に問題があると指摘できる部分があると考えられるし、発言者自身も相手が不快に感じる言葉であることは理解されているようだ。
前者は自分の子供に「土人達よ~一緒に遊ぼう」と呼びかけるように指導することをオススメする。
私自身は「言葉狩り」のような活動は馬鹿馬鹿しいと考え、しかし放送禁止用語にはそれなりの意味があると思う。
で、私も在住者として日常でベトナム人の反応に対して日本人としての意識が強いあまり「同じじゃないよ」と一緒にされたく(したくい)ない感情の強さから「区別」(差別だね)をしたい衝動で例の用語がアタマによぎる。
でも実際に発言や表現はしない。
それだけ、相手が不快に感じるだろうって言葉と考えているから。